2013年2月2日土曜日

Review_Prague

■2013年1月23日(水)Prague【プラハ】

ジュール(Győr)からプラハ(Praha)までは、一旦ブダペストまで出て、そこからプラハ本駅(Praha hl.n)までの電車を利用。ブダペスト09:25発プラハ16:21着、約7時間の移動となる。
料金は1人当たり8410Ft(3364円)
鉄道利用には、ヨーロピアンイーストパスという、東欧5カ国に乗り放題のパスがあるが、よほどの長距離を乗らない限り現地購入のほうが安くなる。

電車は6人一室のコンパートメント。
3列シートの向かい合わせで荷物置き場も2段あり、プライベート空間的な感じ。
これもシーズンオフならではの特権か、1部屋を貸切状態でプラハまで移動できたので、7時間の移動も苦痛ではなかった。
シャンゲン協定によりヨーロッパでは国境検査無しで国境を越えることが出来るため、基本パスポート提示の必要はない。
が、ブダペスト~プラハの場合、ハンガリー、スロバキア、チェコと3カ国を跨るため、その国に入る都度車掌がチケット検査に来る。



プラハ本駅に到着後、ヴァーツラフ広場の近くにある「Hotel Liberty」にチェックイン。
写真はヴァーツラフ広場からチェコ国立博物館を向いたところ。ここは新市街にある随一の繁華街。プラハ中心部は狭い事から、ここでの観光手段は徒歩で。
まずはホテルのあるナ・プシーコピェ通り沿いにあるレストランでチェコビール(スタロプラメン:Staropramen)と肉系料理で腹ごしらえ。食事、ビールとも申し分無し。席も満席状態で地元でも人気のあるレストランみたい。



食事の後は、ナ・プシーコピェ通りの先にある火薬塔まで歩く。
もともとは旧市街の門のひとつであったが、17世紀に火薬庫として使用されたことから、火薬塔(火薬門:Prašná brána)と呼ばれるようになったところ。現在の塔は19世紀に立て直されたもの。
プラハにはこういった門が点在しており、いづれも重厚な趣を醸し出している。



火薬門の隣は市民会館。
ここには元々歴代の王宮があったが、17世紀の大火災により焼け落ち、その後1912年に現在のアールヌーボウ様式の建物が完成した。
ここでは連日コンサートが行われている。

その後はヴァーツラフ広場で「COLUMBUS」というラム酒を購入後ホテルへ。
後で調べてみると、このラム酒、ドミニカ共和国産の7年物だが、大当たりの一品。
アルコール度数は37.5度とウィスキーよりは低めだが香りと後味が良い。


■2013年1月24日(木)Prague【プラハ】


ホテルを出発後、旧市街広場を抜けてカレル橋へ。カレル橋はヴルタヴァ川に架かるプラハで最も古い石橋で、1357年にカレル1世の命により60年の歳月をかけて完成したもの。
橋の両側には30体のキリスト教の聖人たちの像が設置されている。
但し、今回は全部で27体で、2体は写真の写った看板のみ、あと一体は台座のみであった。修復中かなにか??


カトリックの聖人であるヤン・ネボムツキー聖人像。台座の二箇所が光っているのは、このレリーフに触れると幸運が訪れるといわれており、たくさんの人が触ることからそこだけが、光っている。
観光シーズンでは、この台座に触ろうとする人が列をなし、カレル橋自体がごった返すらしいが、今の季節は余裕で触れる。
この季節の観光、以外といいかも!






これはフランシスコ・ザビエル像。東洋への伝道に尽力したということから、インド人、黒人、日本人、カタール人によって担がれている。
写真では見えにくいが、左下の丁髷に刀をつけた像が日本人。



カレル橋の両サイドにも2つの門があるが、これは、プラハ城サイドの門。
ここからは緩やかな登り坂になっており、丘を登り切ったところが、歴代王の居城となる。










プラハ城内で最も目立つ建物、聖ヴィート大聖堂。尖塔の高さは96.6m、外壁には細かい彫刻がなされている。
これは正面で、真ん中はバラ窓(ステンドグラスで作られた円形の窓)となっている。

聖ヴィート大聖堂の背面。
ここは広場になっており、この後ろには聖イジー教会がある。












聖ヴィート大聖堂内のステンドグラス。
複雑で細かい模様のステンドグラスが壁一面に張り巡らされている。












色使いによって、受ける印象も異なる。
様々なステンドグラスがそこかしこにあるので、大聖堂自体が巨大な万華鏡のようにも思える。
外の天気、光の量に伴い色合いが変化して行く様を見てみたい気持ちになる。
季節によっても見え方が異なるのかも??









天井の模様も綿密に計算された左右対称模様となっている。
恐るべき当時の建築士の能力!
   
聖ヴィート大聖堂の向かいにある、聖イジー教会。
920年に完成した、プラハ城内で最も古い建物。他の建物と違ってカラフルな色使いで、当時としては斬新だったのだろう。










プラハ城から見たプラハ市内の景色。
特徴的な赤の屋根が今は白で覆い尽くされている。












プラハ城内「黄金の小路」(「錬金術師小路」)の一画。
青い家がフランツ・カフカが執筆のために借りていた家。
とはいっても、カフカの作品読んだ事がないので、ますは「変身」でも読んでみよう。







「黄金の小路」の奥においていた大砲。
その他、ここには鎧や剣といった武器、牢獄、拷問部屋などがあり、マイナス部分も見ることが出来る。











プラハ城から旧登城道を下り、カレル橋の1本北の橋(manesuv most bridge)の近くの食堂にて小休止。
チェコビールとともにグヤーシュスープで軽食。
日が暮れてからは、旧市街広場へ。
写真はティーン教会。
ただ、この教会、どこが入り口かわかりにくい。
というか、この広場から入り口は確認できない。
どうなっているかというと・・・






教会の前面の別の建物があり、まるで教会の入り口を塞いだかのようになっている。そもそもなぜこんな綺麗な教会の前に建物を建てたのか??ネットで調べてみると、ここに来たほとんどの人が教会の入り口を探すのに苦労している。ティーン教会でググってみると、「ティーン教会 入り口」がポップアップしてくるくらい。どうやら、入り口は教会前左手にあるティーン学校を通り抜けていくらしい。

では、そもそもなぜこんな作りになったのか・・




もともとティーン教会はプロテスタントの教会だったのだが、宗教戦争によりカトリック教会に変えられたらしく、それに反発したプロテスタント系の市民が入り口に建物を建てて塞いだらしい。


左の写真は「石の鐘の家」
石製の鐘が建物の角についていることから、石の鐘の家(Dům U kamenného zvonu)と呼ばれている。今は美術館の一部として使われてるが、王家の宮殿の一部として使われていた時もある。


旧市庁舎。
ここには天文時計があり、毎時0分にカラクリ人形が動き出す仕掛け時計になっている。
実際に見てみるとあまりの短さに拍子抜けするやもしれないが、これもオフシーズンの特権で、そんなに混雑する事も無く、見ることができた。
ちなみにこの時計は15世紀頃にプラハの天文学者であるハヌシュ氏が製作したらしいが、あまりの精巧さを妬んだ誰かがハヌシュ氏の目を潰したとか・・





この後、ヴァーツラフ広場にあるイタリアンレストランで最後のチェコビールとマルゲリータ、ぺペロンチーノの夕食。

明日は朝からウィーンに移動。

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