2020年も今日が最後の日。
ICO Manpowerは本日が御用納めで、年始は4日からとなる。
いつもなら2020年度の振り返りを実施するのだが、あまりに良くない1年だったので、今年は振り返らず、すべてを忘れることにする。
お昼は国際部、経理部と忘年会、夕方からは教育部の忘年会、夜からは夜行バスに乗り込み、1月3日まで、ベトナムと中国の国境の町でゆるりと過ごす予定。
来年は素晴らしい年になることを祈って。
皆様、よいお年を~!
NTTグループを早期退職、セカンドライフとして2年間のハンガリー生活を経て、現在はベトナムに活動の場を移しています。 異国での出来事について、徒然なるままに綴っていきたいと思います。
2020年も今日が最後の日。
ICO Manpowerは本日が御用納めで、年始は4日からとなる。
いつもなら2020年度の振り返りを実施するのだが、あまりに良くない1年だったので、今年は振り返らず、すべてを忘れることにする。
お昼は国際部、経理部と忘年会、夕方からは教育部の忘年会、夜からは夜行バスに乗り込み、1月3日まで、ベトナムと中国の国境の町でゆるりと過ごす予定。
来年は素晴らしい年になることを祈って。
皆様、よいお年を~!
年末にまた訪れた痛風・・・
ようやくましになってきたので、一応ご報告のみ。
12月13日(日)右足親指の付け根にじんじんとする違和感
12月14日(月)違和感は確実な痛みとなるも、我慢できないほどではない
12月15日(火)痛みは確実に増し、痛さにより右足内側を地面につけられない状態
12月16日(水)更に痛みは増し、なにもしなくても痛くなる
12月17日(木)痛みはピークに達する
12月18日(金)ピーク時の痛み継続
12月19日(土)ピーク時の痛み継続
12月20日(日)ピーク時の痛み継続
痛みの中、ハノイ支店で午前、午後と2回のセミナーを実施
我ながらよく頑張った!
12月21日(月)痛みは夜から少しましな状態に
12月22日(火)痛みはあるが、我慢できる痛みに
12月23日(水)腫れはひかないものの、痛みはかなりましに
LavimanのNamさんにどうしてもと誘われ、宴会参加
酒は控えめにしたもののMinh、Maiと二次会へ
12月24日(木)前日と状態は変わらず
12月25日(金)腫れがおさまりつつあり、スリッパから靴に戻せた
12月26日(土)完治とまではいかず鈍痛はあるが、生活に支障のないレベルまで回復
スタッフと土曜日恒例の飲み会、問題無し
12月27日(日)Maiの結婚式、酒はほどほどに。
この間、会社を休むこともなく、病院にもいかず回復まで耐えた。
今年も年末を迎え、何かと忙しいので年が明けてから病院で検査を受けてみよう。
Diu、この間差し入れをしてくれたり、なにかとお世話になり、ありがとうね!
Bac Giang市内から車で40分ほど離れた場所にある ICO Manpower縫製実習センター。
途中曲がりくねった道を通るため車で行くと必ず酔うが、この田舎の風景は嫌いではない。
縫製職種の面接を希望する実習生はここで縫製実習をした後、面接に挑む。
本日はZoomを使用した面接で、ミシンの実習模様がうまく伝わるかが不安だったが、無事終了し3名の日本行きが決定した。
この子たちは入国までの数ヶ月Bac Giang教育センターに戻り、日本語を勉強する。
これでまた当分、この縫製実習センターに来ることはなくなる。
という理由で、面接終了後のお昼ご飯はセンター長と宴会実施。
素朴な田舎料理とベトナム酒、面接が成功したこともあり、気持ちのよいひと時を過ごせた。
Thuy、あきらめずによく頑張ったね。合格おめでとう!!
2020年クリスマス兼Lyの誕生日会は昼休みの鍋パーティー!
お昼ごはんに鍋という自由な発想はベトナムならではのもの。
しかも材料費は全部で1000円というコストパフォーマンスのよさ!
これから月に一度は鍋パーティーだ^^
ずーっと昔、俺が小学校5年生の頃、この実を山で採って、炒って食べたことがある。
椎の実だったっけか・・
日本では見かけなくなった木の実も、ここではお茶のお供のひまわりの種とともに、定番となっている。
その他にも茹でとうもろこし、焼きとうもろこしといった、日本では今では夏祭りの屋台でしかお目にかかれないような、昔懐かしい食べ物が現役で活躍している。
ベトナムではタイムスリップをしたかのように、こういった古き良き日本を体験出来る。
Bac Giangにある日本食の店。
メニューは、牛丼、カツ丼、カレー、うどん等、日本の定食屋のような感じ。
病院帰りにThuongと初訪問。
味はというと、カレーはまあまあ普通。
だが、Thuongの評価は厳しく、カツ丼はもうひとつだと言う。
そりゃあ、日本のカツ丼と比べれば答えは明白だが、ここはBac Giangだということを考えると、かなり高得点だと思うのだが・・・。
Thuongのほうが、日本人っぽいのはなぜだ?
2020年9月25日金曜日、朝起きると左腰に違和感有り。
その日はそれ程痛みは感じなかったが、土曜日から時々激痛が走るようになった。
とはいえ歩けないレベルではなかったので、日曜日は予定通りハノイに出かけた。
ひどくなったのはハノイからバクザンに帰ってきてから。
バス停から部屋まで歩くのに、何回も止まって息を整えなくては歩けない状況になる。
月曜からは痛みが右腰に移り、目に見える血尿が出だし、単なる筋肉痛ではないことを知る。
病院に行ったのは9月30日の水曜日、血液検査、尿検査、超音波検査、レントゲン検査を実施した結果、判明したのは右尿管結石。
レントゲンにくっきり移った石の影。
病院には昼から行ったので、CT検査は明日することで、本日の診断は終了。
翌日はCT検査、左腎臓に約1.3mm、右尿管に約0.8mmの結石があるとのこと。
左腎臓は日本にいた頃からあり、動かない所なので処置は不要と言われていたもの。
問題は尿管に詰まった0.8mm大の石、これをどうするか・・・選択肢は2つ。
1つは自然に出るのを待つ、もう1つは衝撃波で破壊するというもの。
衝撃波は22歳の時に経験済だが、ベトナムで衝撃波の手術をするリスクを考えると、躊躇する。
かといって、尋常ではない痛さを考えると早く楽になれる衝撃波を選ぶべきか・・。
医者の腕を信用していない訳ではないが・・いや、正直に言おう、100%信用出来ないことから、結論として自然に任すことを選択。
その後大量の薬を処方され、1日2リットル以上の水を飲む生活が始まった。
刺すような激痛はその後約2週間続き、夜も1時間おきに痛さで目が覚め、ひたすら痛みに耐えるのが日課になった。
ただ、ゆっくりとなら歩くことも、バイクに乗ることも出来ることから会社を休むことはなかった。
逆に休みに一人で痛みに耐えるほうが辛かったので、出勤してスタッフや学生と話しているほうが気が紛れてよかった。
石を早く出すという名目で、ビールを飲みにいくことも出来たし。。
因みに血尿は1週間ほどで出なくなった。
石が動かなくなったのか、もしくは狭い尿管を通り過ぎたのか??
10月も20日を過ぎる頃から痛みの種類が激痛から鈍痛に変わってきた。
腰を回すことも出来るようになり、痛さのピークは通りすぎた。
下旬になると、ほぼ痛さは消え、完治したように思えた。
石が出た形跡は無いので、もう一度病院で石の存在を確認しなければ安心できないが、同じところに止まっている可能性を考えると、怖くて行きたくなくなる。
仕事の忙しさを理由に病院に行くのを伸ばし伸ばしにしていた。
が、Thuongの誘いもあり、本日意を決して再度病院へ。
前回とは違う先生は前回の検査結果を見て、自然に出るのは難しい大きさという。
ただ、手術の際には同意書が必要となり、外国人の場合大量の書類にサインしたり、保証人が必要であったりとかなりややこしいようで、再度今までとは違う薬を処方され、1ヶ月後に検査することになった。
Thuongには病院に付き添ってもらい、お世話になった。
向こう10回分の飲み会は全て俺のおごりということで、契約成立!