2012年8月29日水曜日

発令

8月31日の辞職に向けて職場の同僚が壮行会を開いてくれた。

今までは送る側だったので、何か変な感じ・・・
自分が送られる側になったことが無いので、全く落ち着かない。

この日の事をいろいろと考えてくれた、人材開発と事業支援担当のみなさま、ありがとう!

参加してくれた事業企画部、総務部のみなさま、ありがとう。

定年まで勤めることもなく、年度途中で辞職することで、メンバには迷惑をかけているにも関わらず、暖かく見送ってもらえたことに感謝、感謝です。

この恩返しのためにも、今後の人生においてみなさまに良い報告が出来るようにがんばりまっす!

2012年8月23日木曜日

八咫烏


このシンボル、見たことある?

八咫烏と書いて「やたがらす」と読む。

サッカー日本代表のユニフォームに描かれているシンボル。

明治時代に日本に初めて近代サッカーを紹介した人の出身が、和歌山県那智勝浦町らしく、熊野本宮大社に祀られている
八咫烏をシンボルとして制定されたらしい。

そもそも八咫烏とは、神武天皇東征のとき、熊野から大和に入る険路の先導となったという伝説上の大カラスで、三本足が特徴。・・・ということは熊野本宮大社に行って初めて知った!

旅は人を豊かにするなあ :)


2012年8月16日木曜日

お盆週


13日から始まったお盆週、我が事○企△部は開店休業状態。

他の管理者は全員お休みなので、最後の奉公というわけでもないんだけど、代表で自分が出ている。
まあ、その分来週休むんだけど・・・

この週で辞職に向けた身辺整理を実施。
ダンボール3箱分の資料を処分し、机、ロッカー、書庫を空っぽにして物理的な資料整理は終了。

PC内にあるデータ整理もほぼ終了し、あとは最終的な初期設定を残すのみとなった。
これは、最終出社日に実施しよう。


そうこうしている時に、2010年度入社社員からうれしい知らせが!

彼女は今春(2012年3月4日)に同期入社の社員と結婚したのだが、おめでたとの事。

男性社員は奇しくも自分と同じ苗字で、結婚式に立ち会ったこともあり、気にかけてた存在であったが、順調に過ごしているようで安心した。

予定日は来年の春ぐらいだろうか。。吉報を楽しみに待つことにしよう。

2012年8月15日水曜日

ロンドン












17日間に渡ったロンドンオリンピックも閉会となった。

さまざまな競技の中で、自分自身のBest3を挙げてみると
第3位:女子卓球団体
第2位:水泳男子メドレーリレー
第1位:女子サッカー

中でもなでしこJapanのキャプテン、宮間あやの考え方がいい!
いろいろなリーダ像がある中で、彼女の考え方や姿勢が一番しっくりくる。

あんなリーダになりたいもんだ。

ところで・・・

穂希でほまれ??  ぜったい読まれへん!


2012年8月13日月曜日

日本語教師の資格とは


1.大学で日本語教育を専攻
2.420時間終了
3.検定合格

一般的にはこの3つが挙げられている。

上記のうち、2項は日本語学校で日本語教師養成講座を受講する必要がある。
有名なところでは、アークアカデミーやヒューマンアカデミー、大原等。
ただこれは、それなりに時間も拘束されることから、社会人には難しいだろう。

3項は、日本国際教育支援協会が主催する日本語教育能力検定試験の合格を指している。
毎年1回、10月に試験があり、合格率は20%くらいのもの。
その他の日本語教師に関連する資格として、全国日本語教師養成協議会が主催する全養協日本語教師検定もあるが、これを条件とする日本語学校は少ない。

通信教育としては「NAFL日本語教師養成プログラム」があるが、感覚的にはこの通信講座のみでの検定合格は厳しいと思われる。地道に知識を蓄えるのには有効な講座である。
検定試験対策とするなら「日本語教育能力検定試験 合格するための本(アルク社)」等を併用して試験感を磨くことも必要だろう。

上記以外に日本語教師の求人で求められるのが、経験である。
経験を積むために応募して、経験が無いからと落とされる。この矛盾をどうクリアするかが、最大のキーポイントとなる。

2012年8月11日土曜日

Genki



ハンガリーで使用する日本語の教科書はJapan Times発行のGenki。

この本の特徴は、文法等の解説が英語で記載されている点であり、英語が理解出来る生徒であれば独学も可能な内容となっている。

がっ!・・・どうも聞き伝えによるとハンガリーで英語が通じる可能性は少ないみたいなので、英語の解説がどこまで有効なのかは今のところ不明。

相手が大学生なので、英語が出来ることを期待して、もっと言うなら拙い英語でも理解出来ることを大いに期待しておこう。

それよりも問題は生活圏での意思疎通。当面は全世界共通の指差し目配せパントマイムで乗り
切るしかないんだろうな。


そういえば昔サイパンに行った際、部屋にスリッパが一組足りなかったのだが、当時幼稚園の娘が一人でフロントまで行ってスリッパをGetしてきたことがあった。
どうやって伝えたのかは未だに不明。人種は違えど元を正せば同じ人間、相手もわかろうとして聞いてくれたんだと思う。


兎に角今は未知のことが多すぎて、何を心配したらいいのかもわからない状態。
心配したくても出来ないことはある意味楽かも。


Take it easy! 肩の力を抜いて、今出来ることのひとつであるGenkiのシラバス作成をやっていこう。

2012年8月8日水曜日

会社生活での愉快な面々No4

世の中はメタル回線による固定通信から、ファイバー回線によるIP通信への転機を迎える頃、西日本でもIPv6を用いた独自網の研究が始まり、2000年からはこの業務に関わることになった。
これが、技術系分野での最後の仕事となった。

2009年に会社生活最後の転機である、人材開発という全く方向の異なる分野に行くことになる。
IP通信に関わった後半はエンジニアというより後輩育成というミッションであったことから、自分自身では抵抗はなかった、というか、希望していた部署であった。ここでの主たる業務は、新入社員の育成。愉快な面々の最後は新入社員の登場となる。

・・・が、彼らや育成関係者との関係は過去のものではなく、今も継続していることから、このタイミングで振り返るのはやめておこう。
後のお楽しみということで・・・

2012年8月7日火曜日

会社生活での愉快な面々No3

新たな知識を得ることは特に苦痛ではなかったし、技術習得もそれなりに楽しかった。

ここで知り合ったのが市内系通信に関わるメンバ達。
少しわかりにくいと思うが、通信系システムには大きく分けて市内系システムと市外系システムというものがあり、この技術習得で自分自身初めての市内系システムに関わることになったことから、メンバ的には馴染みはなかった。

場所は東京の武蔵野にある研究所、やる事は新たな通信システムにおけるソフトウェアの作りを理解すること。ほぼ一年間、ソフトウェアロジックの把握を実施し、サービス開始後のソフトウェア対処に向けた業務を実施した。

関西に帰った後、技術習得メンバでバックヤード部隊を構成し、システムに問題が発生したときは昼夜を問わずの呼び出しに対応した。この時のメンバが、N辻、I上、I原、等々の技術屋集団。普段はちゃらんぽらんのようだが、問題が出ると原因究明のためのプログラムトレースを怠らない面々だった。

飲み会の途中で呼び出されたり、バグが出たときの限られた時間での説明資料作成等、いろいろな苦労もあったが、あまり苦に思うことはなかった。

このシステムの導入が1996年、光でんわが主となった今でも健在である。

2012年8月5日日曜日

会社生活での愉快な面々No2


現場から、何の知識も持たないまま、通信ソフトウェア開発の世界に入ったのだが、ここでは本当にいろいろなことを学んだ。

仕事は正直きつかった。プログラマーといえば聞こえはいいが、毎日夜遅くまでプログラムとにらめっこで・・・
この時期が一番(時間的に)働いた。やみくもに、といったところだが、ここで自分の基盤が作られたようにも思う。
反面教師との出会いもあり、会社を辞めようかとも思った時期でもある。
毎日の通勤電車の窓から景色を見ながら、他にいい仕事がないかと本気で考えたりもしていた。

そんな開発時代を過ごした3年後、システムの維持管理部隊に配属となった。
時と場所を選ばずに発生するバグに対応する部隊であったが、ここで素敵な面々と出会うことになる。

T中正さん、T中貞さん、Hっシー、Yムリン、T本さん、K原、O野ピー、Oギリン・・・
数を挙げればきりがない、愛すべきD60メンバ達。チームとして仕事をしてる感満載だった。
ここで、自分のチームに対する考え方の基盤が出来たように思う。

そんな折、悲しむべきは世の中の進歩、新たな通信設備も開発され、技術習得として東京に行くことに・・・

2012年8月3日金曜日

会社生活での愉快な面々No1


今までの会社生活で印象に残る愉快な面々は多々存在する。

入社当時の1年後輩のY村やM田、N口。Y村とはよくツルンで飲みにいったな。
酔っ払って深夜、タクシーを追い掛け回したことが印象に残っている。(振り返ると冷や汗ものだが・・・)

高校の同級生であったS行と飲みに行った帰り道での出来事も相当スリリングで・・・
眼つきの悪い輩とにらみ合いになったが、腹に巻かれたサラシとそこに挟んだ包丁が見えたあとは、ひたすらその輩をおだてまくってなんとか事無きを得たこと。これはマジ焦った。

なんかあまりよろしくない生活ばかりのようでもあるが、そんなことが今では楽しい思い出になっている。

入社当時は通信設備の保守を実施する部門に配属され、野球、登山、マラソン+アフター5の飲み会と、仕事以外の面で充実(?)した生活を送っていたが、通信設備のデジタル化に伴い8年間過ごした現場を離れ、通信ソフトウェア開発の世界に飛び込むこととなる。
これが、仕事における一つの転機になる。

2012年8月1日水曜日

退職手続き


退職の意思は5月に直属上長である部長に伝えていた。

具体的な手続きとしては、退職願の提出、それに基づいた社内での意思決定を以って退職了承となる。

この手続きが昨日終了し、本日後任の課長にも周知が終わった。

正式な発令は退職日の一週間前(8月27日)となるが、業務引継ぎの関係上、担当内メンバへの通知と後任者に対する引継ぎは来週から実施する予定。

30年に渡りお世話になった会社を退職することに対し、現段階では大きな感慨や未練も無い状態なのが不思議な気分でもある。

これが終わりでもなく、先には未知の世界が待っていることを考えると、そうそう過去を懐かしんでもいられないし。

でもまあ、人生の節目でもあることから、会社生活で出会った「人」を中心に振り返ってみるか。。