2017年11月28日火曜日

chaos

Ha Noiのマンション。
細長い作りはベトナム流、バルコニーの曲線はヨーロッパ風。
なんとも混沌とした建物だ。


2017年11月26日日曜日

AEON in Ha Noi

朝、急にHa Noiの友達から連絡が入った。
ず~っとお互いの予定が合わなかったのだが、今日は奇跡的に二人ともFreeだった。
会える時ってこんなもんだな。
寮を出てTaxi、Bus、Xe omを乗り継ぎ、家に到着、その後はAEONで朝ごはん、映画を観たり買い物をしたりしながら休日をまったりとHa Noiで過ごす。
約1年振りの再会、次の約束はせずに別れたが、近いうちにまた会えるだろう。
そんな気がする。

2017年11月25日土曜日

Minh Anh

明日からMinh Anhがベトナムにいないのはさびしいね。
日本でこまったことがあれば、いつでもれんらくするんだよ。
3年間、がんばって!
hẹn gặp lại

2017年11月24日金曜日

Jack frost coming

常夏のホーチミンから帰って来て2日目、ここBac Giangに冬将軍がやってきた。
ベトナムの夏の暑さには閉口するが、冬は冬で暖房設備が無いだけに朝風呂派の俺としてはきつい。
しかも俺の風呂には窓ガラスの無い窓があるので、冬の間は吹きっさらしの中でシャワーを浴びる羽目になる。
では、冬が嫌いかというと、そうでもない。
寒い路上の屋台で食べる朝ごはんのBun Ca(魚フライ入りにゅう麺のようなもの)は最高に旨いし、なにより四季を感じられるのがいい。
ただ、ベトナムでは深々と降る雪の風情は味わえないが・・・
まま、それも良しとしよう。


2017年11月23日木曜日

return to BG

Bac Giangに戻り、いつものスタッフと久しぶりの再会。
国際部、書類部、教育部のみんな、多分俺や夏未との会話で慣れているということもあるとは思うが、普通の日常会話は問題無くこなす。
外に出て改めて知るスタッフの進歩。
とともに、最近頓に感じる、自分の英語力の低下・・・
言葉は使わなければ朽ちていくものだと改めて実感する。
兎に角、ただいま!!

2017年11月22日水曜日

Ho Chi Minh City Final day

朝、ホテルをチェックアウトし、携帯ナビを頼りに会社までの道を行く。
が、途中で現在地を拾わなくなり、ナビはナビの役目を終える。
ここはHo Chi Minhの中心から離れたところで、なんのランドマークもなく、ナビが壊れた今、俺が会社に行く術はタクシーのみ。
流しのタクシーはなかなか見つからず、かろうじてみつけたXe om(バイクタクシー)を拾う。
Xe omって値段を聞くと必ず50000VNDと答える。これはHa NoiもHCMも同じ。
20000VNDにまでまけさせ、何とか会社に到着。
Xe omを降りる際、後ろから来たバイクに跳ねられかける!
うーん、ここに来てからのUnluckはまだ続いているようだ。
昼までHCMで仕事をし、昼過ぎにようやくBac Giangまでの帰路に着く。
俺にとって、今回のホーチミンは鬼門だったようだ。
しかし、物は考え様。
財布を忘れたので、無駄使いはしなかった。
ホテルが悪かろうが、クーラーとシャワーは健在だった。
仕事自体は順調に終わった。
バイクと車の嵐の中もクリア出来た。
バイクに跳ねられそうになったが、跳ねられてはいない。
本拠地Bac Giangに帰ってからは良いことが待っていると信じておこう。

2017年11月21日火曜日

Ho Chi Minh City

教師の日のイベントが終わった昼過ぎ、2泊3日の仕事のためホーチミンに向かう。
今日はホーチミン2日目、目的の仕事は順調に終わったが、それ以外は良くないことばかり。
けちのつきはじめはBac Giangを出る時から始まった。
イベントが長引き、昼食抜きで空港まで移動。
NoiBai空港で財布を忘れたことに気づく。
携帯電話ケースに入れていた70万ドン(3500円)が2泊3日の全財産となる。
ICO Ho Chi Minhにて、懇親会後、案内されたホテルはNha Nghi(日本のラブホのようなもの)と寸分変わらない所。
早々に寝る。
2日目、仕事を終え、Booking.comで手持ちのお金で止まれる価格のホテルの中で、口コミの一番高い部屋を選び、職場から徒歩30分をかけてチェックイン。
1泊1500円ということを考えると、コストパフォーマンスはいいほうだろう。
但し、ホテルに到着するまでの間、行き交うバイクと車の群れに立ち向かわなければならないが・・・
ホテルの従業員はフレンドリーという点も口コミ通り、ただし、ミニバーらしきものは見当たらず、コンセントを抜かれた冷蔵庫が放置されているのみ・・・まっ、当然か。
19時から、ICOホーチミンの友達と食事後、2日目も早々に寝る(予定)。
ただ一つ、よかったのは・・・
ホテルに向かう際に出くわしたスコールに、家の軒先(というかほとんど家の中)を貸してもらい雨宿りをしていたのだが、ふと気が付くと、足元に小さないすを用意してくれていたこと。
これで、今までのアンラッキーは帳消しということで。


2017年11月20日月曜日

Teacher's day

11月20日、ベトナムは「教師の日」。
ICO Manpowerでもクラス対抗の催し物を大々的に実施した。
日本でいうところの文化祭のような感じで、その中に、教師への感謝を散りばめた内容に仕上がった。
これで年内の大きな行事は終了。
明日からまた日本語の勉強をがんばろう!


















2017年11月19日日曜日

Graduation in November

11月の卒業式。
11名の実習生を日本に送り込む。
3年後、全員欠けることなく笑顔でベトナムに帰っておいで。




2017年11月17日金曜日

ICO Nghe An

Nghe An出張2日目。
大学訪問の予定時間がずれたので、しばしICOのNghe An支店にお邪魔する。
この支店に日本人はいないことから、来年4月に日本に行く留学生と1時間ほど会話を実施。
留学生は(いい意味で)能天気で明るい。
彼らから元気をもらった後、午後の仕事を終えて無事帰宅。
前のように、1か月ぐらい各支店を回ってみたいもんだ。



2017年11月14日火曜日

Nghe An

昨日からベトナム北中部の町、Nghe Anに来ている。
Bac Giangを6時半に出発、こちらに着いたのは2時半、途中Ha Noiを経由したこともあるが、延べ8時間の車移動。
こちらでの仕事は2校の大学回り。
ベトナム全土25支社を活用した方が効率的ではあるが、これを持ち出すのは成功事例を作ってから。
さて、今日も一日、頑張りますか!

2017年11月12日日曜日

Thang Long Univ Japan Event

Ha Noi、Thang Long大学のJapan Festival
来賓として招かれたのだが、別用があり、参加出来たのは30分間。
来賓紹介の挨拶をすませ、学長スピーチを聞いたところでタイムアップ。
後のイベントはHueに任せ、泣く泣くPhu Thoへ移動。
最後まで見たかったなあ・・・
















2017年11月11日土曜日

2017年11月9日木曜日

sewing machine

実習センターにおいてあるミシンを使っての縫製練習。
長らく使ってなかったので動くかどうか確かめたら、いきなりモーターが火を噴いた。
ビビったぁ!




2017年11月7日火曜日

homecoming

Hoa先生、日本から帰郷!
ということで、昨日は先生の家でパーティー。
目の前に並んだ肉、肉、肉・・・
花先生は豚肉というが、俺にはどうしてもそうは見えない。
Ngan先生に写真を送り、確認したが、Ngan先生の見解も俺と同じ。
ほとんどの日本人がこの肉は食べられないんだよな。
せっかく招いてくれた皆さんの手前、息を止め、一口のみを酒で流し込む。
いやあ、きつかった・・・

あっ、言い忘れたけど、花先生、おかえり!

2017年11月5日日曜日

Tiếng Việt

ベトナムに来て4年目、未だにベトナム語は話せず・・・
赤ちゃんでも生まれて3年もすればある程度の日常会話は話せるのに、俺の場合はなぜなんだろう?
không bao biện、言い訳をするつもりはないが、話せない理由を考えてみた。

最大の理由は、ベトナム語の音が好きではない事。
音の高低を明確に発音するベトナム語、聞きようによっては、怒っているようにも、喧嘩を売られているようにも聞こえ、俺にとっては耳障りな音で、覚える魅力が無い言語。

第2の理由として、発音が半端無く難しい点。
例えば、ありがとうという意味のcảm ơn(カムウン)、こんなに短い言葉が通じない。
ベトナム語は中国語より2声多い、6声もある。
ma, mà, má, mả, mã, m
上の6つはそれぞれ発音が違い、もちろん意味も違う。
これを使い分けるのは至難の業・・この時点で挫折する。

第3の理由、普段の生活ではベトナム語を使わなくても生きていける事。
職場では日本語がわかるスタッフや先生がおり、こちらからの指示は日本語で通じる。
仲のいい友達は片言ではあるが英語がわかる。
食事や買い物も友達と一緒に行くので、特に支障は無い。

では全く困らないか、というとそうでもない。
仕事面では、ベトナム語でやり取りされる朝礼の内容がわからない。(これはわからないほうがストレスが溜まらないという利点もある)
会長、社長は日本語がわからないので、通訳を介しての会話となり、まどろっこしい。
学生の家の呼ばれた時に親御さんと話せない。(ひたすらボディランゲージと笑顔で切り抜ける)
生活面では、一人で行動することもあり、喋れた方が当然ではあるが便利。

元々ベトナムに来た当時は、腰掛けとしか考えておらず、1年ほどで北米か南米に渡るつもりでいた。
それが、蓋を開ければ、もう4年目を迎えている。
ここに永住しようとは思わないし、いろいろストレスを感じることも多いが、住みやすい場所であることも確か。
学生には、日本語を覚えろと言っている自分が、滞在先の母語を話せないという点に多少なりとも引け目を感じることもある。

さて、どうするか。
解はいまだ見つからず・・・

2017年11月4日土曜日