2012年7月31日火曜日

航空券


航空券を安く抑えたいなら早めの手配が必要。
ちなみに今回手配したチケットは以下の通り(5月15日手配)

  09/06 KE722 関西空港(09:30)→仁川空港(11:20) ECONOMY
  09/06 KE933 仁川空港(13:20)→ウィーン(17:15) ECONOMY
  04/09 KE933 ウィーン(18:40)→チューリッヒ(20:00) ECONOMY
  04/09 KE934 チューリッヒ(21:35)→仁川空港(15:00+1) ECONOMY
  04/10 KE721 仁川空港(19:15)→関西空港(20:55) ECONOMY

  国際航空券[PEX]                          \75,000-(\75,000)
  国内空港施設使用料                       \2,650-(\2,650)
  出入国諸税                               \8,300-(\8,300)
  燃油特別付加運賃                         \47,000-(\47,000)
  合計    \132,950-

チケットに記載の時刻は現地時間、実際は時差があるので、インチョンからウィーンは13時間かかる。

1年間有効の往復チケットを購入したが、購入時にはシステムの制約上、帰国日を4/9にしか設定できないとの事。

帰国日の変更は現地で実施する予定。

2012年7月30日月曜日

査証



EU国を中心としたシェンゲン協定加盟国では90日間の滞在ではビザは不要となっている。

今回の予定では大学の1タームである9月から7月まで滞在することから、東京三田にある在日ハンガリー大使館(領事部)でビザ発給の申請を実施した。







申請に必要な資料は以下の通り。
・パスポート
・パスポートサイズの写真1枚
・申請書(大使館で入手)
・ハンガリーからのinvitation
・海外保険(300euroカバーのもの、英文、保険会社から入手)
・収入証明書(貯蓄額証明書、英文、銀行から入手)

注意点として、申請時に指紋を採取されるので、必ず本人が手続きをしなければいけない。
また海外保険はクレジットカードに付随しているものではなく、滞在期間をカバーしたものでなければ認められない。
手続き自体は30分程度で済み、その後2週間くらいでVISAが発給される。

●シェンゲン協定(Schengen Treaty)と査証免除規定
シェンゲン協定は加盟国相互の通行自由化と手続き簡素化を目的とした共通滞在協定。
加盟地域内全ての滞在日数が累積カウントされ、日本人の場合は、加盟地域内での査証免除滞在が<6ケ月以内90日間>に制限される。

2012年7月29日日曜日

マジャル

渡航先はハンガリーのジュール。

オーストリアのウィーンから電車で1時間30分くらいの所で、西ハンガリー大学とセーチェニー大学での講義、あと市民講座を担当するようになるとの事。

今は仕事の合間に日本語の教科書を元に講義の準備をしているところ。

如何せんこっちの武器は「日本語教育能力検定試験」認定書のみなので、正直先行き大いに不安がある。
自分がどう対応するかも未知のところであり、学生には悪いがその場その場でベストな教え方を考えていこうと思う。

実はヨーロッパは行ったことがなく、今まで行こうとも思わなかったのが事実。
行くところ、やる事全てが新たなことであり、ノンフィクションで記録していきます!


ちなみにタイトルのマジャルはハンガリーを意味する言葉。
言語学的にいうとハンガリー語はウラル語族に属し、日本語と同じSOV語順となる点が、これから学ぶ者にとっては少しは救いかも。。

2012年7月28日土曜日

あんた、バカぁ!?

「あんた、バカぁ!?」

アスカならそう言うだろな。

サラリーマンの王道である「年金支給までの終身雇用!」を投げ捨て、ハンガリーくんだりまで流れていくんだから・・・

外国人に日本語を教えたい!

いつしかそれが、自分の「夢」になった。

2012年9月、その夢が叶うことになった。


なぜ今?
52歳、まだまだ現役、会社では社員育成部門の責任もあるのに??
定年退職して年金貰いながら叶えるのが、誰にも迷惑をかけずリスクもないやん!

プラス面でもマイナス面でもタイミングが今だったから、、、なんだろな。。


2006年、香港で開催されたTelecomWorldを視察した。
展示会場では最新Mobile機器のデモの聴講や、イギリス領事館でのレセプション等に参加したが、自分の英語力のなさを痛感した。
これが、語学(英語)に興味を持ったキッカケ。

語学教室に通い始めてからのさまざまな外国人講師との出会い。
彼らに日本に来た目的を聞くと、「日本文化に興味があったから」
自国では、SEやTeacherの職についていた講師もおり、そんな彼らが日本文化への興味だけの理由で職を辞して日本に来ている??

聞いた時は違和感を感じた。

そんな簡単な理由でふらっと日本に??
仕事を辞めてまで??
日本では到底考えられない!

彼らの行動を否定する自分と羨望する自分がいた。
否定することで、今の自分の居場所はここなんだと言い聞かせていたのかもしれない。
ただ、世の中にはそういう生き方もあるということを強く意識した。

日本だけでなく、いろいろな国を見てみたい。
それも単なる観光ではなく、何がしかの意義を持って・・・
自分には何ができるだろう?
自分が英語に興味を持ったように、どこかで日本語に興味を持ってる人もいるのでは??
これが、外国人に日本語を教えたいと思ったキッカケ。

日本語教育能力検定試験に合格することが、日本語教師として認定される近道でもあることを知り、通信教育を経て、2011年10月、この資格を手に入れた。


lost decade(失われた10年、日本では失われた15年と言われることも)
この影響で、我が社(某通信支社)も新入社員採用を凍結した時代があった。
2007年度から採用を復活し、2009年からは自身が新入社員の育成の責任を負うようになった。

2012年、本社一括採用という方針が打ち出され、支社独自での採用は再び凍結。
育成方針にも制約が課され、自分の思う方針とトップ方針が食い違う中、管理職という立場上、会社方針を推奨しなければいけないジレンマの中での葛藤。


プラス面のタイミングとは、日本語教育能力検定試験の合格、マイナス面のタイミングとは会社育成方針に対するジレンマ、そんな折、ヨーロッパで日本語教師を募集していることを知り、応募したところ、選考された次第。

あまりにも唐突に夢が叶うことになった。
夢を叶えるには、辞職という代償も伴い、それによる周りへの影響を考えると手放しにも喜べないのが現実。
この選択が正しかったのだろうか、支えてくれている面々に対する思いが入り乱れ・・・・

「あんた、バカぁ!?」

Don't make it bad!