2021年9月30日木曜日

today's lunch

毎日、昼食は会社の食堂で食べる。
メニューはお任せ、この日の昼食は俺の好物が揃った。
もやしレバー炒め、鶏の唐揚げ、豚肉炒め、じゃが芋・人参・鶏がらスープ、茹でキャベツ。
調味料はヌックマムに唐辛子とニンニクを入れたもの。
これに気が向いた日は食前酒。
野菜が無くなればお母さんが教習所内に作った畑から調達する。
その日に集まった見知らぬ客同士が同じ皿の飯を喰い、時には酒を酌み交わすという、日本ではおよそ考えられない飲食スタイル。
人の人と人との距離が近いベトナムならではの風景だろう。
客のほとんどは教習所で運転を習う生徒で、時にはプチ宴席に教官も加わる。
午後からの運転は無いのか、他人事ながら心配になるがそんなことはお構いなしだ。
かくいう俺も時には昼から酒を喰らい午後から仕事ということもあるので、人のことは言えない。
土曜日の午前中は本社からICO Group総代表のHungさんやMinhが打合せに来るので、昼食は懇親会も兼ねた宴会となることが多い。
この宴に刺身や湯豆腐、日本酒が加われば最高だけど、この楽しみは帰国後に取っておこう。
 



2021年9月28日火曜日

Traffic inspection

先週からバクザン省のコロナによる規制が緩和され、ようやくレストランでの食事も解禁になった。
が、会社前に設置された検問所では以前として24時間体制で他省ナンバーの通行検査を継続している。
他省からバクザンへの入省には通行許可証や場合によってはPCR検査陰性証明書が必要であり、これがないと省内に入れない。
こういった検問は国で指定された省市で行われており、移動制限は厳格に実施されている。
仕事でホーチミンに行った友達は、その後のホーチミンでのコロナ蔓延により未だにハノイに帰れず、足止めを喰っている。
ICOの仕事が減った事からハノイでアルバイトをしている教師も然りで、4ヶ月以上故郷に帰れないままとなっている。

ホーチミンではここ3日間、コロナ感染者数が1万人を切ってきた。
日本では一時は毎日2万人以上の感染者が出ていたが、9月10日に1万人を切ってからは2週間余りで3千人弱の感染者数にまで減少している。
この例から行くと、なんとか10月中に一応の収束を見、11月から2国間の往来も再開されることを大いに期待する今日この頃である。

2021年9月27日月曜日

Home Visit

日曜日、午前中、面接対応を実施した後、募集部のメンバーと、前回の面接で合格したQuynh Anhの家に招待され、同じく合格したHienとともに行ってきた。
Quynh Anhの家はLuc Namで、センターからは約30分で到着。
家にはTOYOTAの車もあり、裕福な家庭のようだ。
例によって親戚や近所の人も集まった宴会が催され、床には豚肉、あひる肉、鶏肉、レバーと痛風持ちには過酷な料理が並ぶ。
誰彼となく酒を酌み交し、ほどよく酔っ払い、帰宅後は昼寝から夕食抜きの睡眠で日曜日は終了。
休みは週に1日しかないが、午前中は1つ仕事を終了させ、午後からはLuc Namへの移動と宴と休息で有意義な1日になった。
ああそうだ、合間にTruy、Trang、Cucと会えたことも楽しかったうちのひとつだ。







 

2021年9月26日日曜日

job interview in September

9月最後の面接。
なんとかやり切った感じだ。
11月には現在出稼ぎ中の教師全員をセンターに戻せることを目標に、今は頑張ろう。


2021年9月25日土曜日

Drivers Licence

ベトナムでバイクを乗るにあたり、危険な思いをしたのは2回ほど。
1回目は、信号が変わり左折(ベトナムは車両は右側通行なので、左折は日本の右折のようなもの)しようとした際、俺より左側の後ろから車が直進してきたこと。
俺が左折を続けていたら間違いなくぶつかるところだったが、これはあと数cmのところで何とか回避した。
あとは、橋に差し掛かる道を直進中、前方からのトラックがまるで俺に向かってくるかのように強引な左折を仕掛けてきた時のこと。
これも、橋げたにバイクのマフラーをぶつけつつも右に逃げることで事なきを得た。
それ以外で交通警察に止められたのは2回。
1回はハノイ郊外で自動車専用道路に侵入したことで検問に引っかかり、Under The Tableで逃れ、2回目はヘルメットを逆さに被って2人乗りで走っているところを呼び止められたが、なぜか見逃してくれた。

それ以外にも何回か検問に遭遇したが、うまくすり抜けて現在に至っている。

で、外国人がベトナムで自動車やバイクに乗る場合の免許証を得る方法は2つある。
1つは自国の運転免許証をベトナム用に切り替える方法。
これの有効期限は在留資格の期間内なので、俺の場合2年間毎に更新しなければならない。
ただ、俺の日本の運転免許証はコロナで帰国出来ないことから昨年4月で切れており、まずは日本で更新しなければならない。
コロナが収束し、帰国出来た際に日本の免許を更新し、その後ベトナムの免許に切り替えるという手続きになる。
もう1つの手段は当たり前だがベトナムで免許を取ってしまうこと。
ベトナムのバイクの免許は1度取ると一生有効であり、これは有りかもしれない。
ICOでも自動車教習所を運営し出したことから、この際免許を取ってしまってもいいかと思う今日この頃。


2021年9月24日金曜日

vending machine

バクザンではまだ珍しい自動販売機がセンター内にお目見えした。
ジュース1本1万ドン、日本円にして約50円。
冷えたビールが買えるとよりいいんだけどな。。。




2021年9月23日木曜日

My daughtors

センターの食堂を手伝っている娘2人。
配膳までの一通りの仕事が終わった後は、時折俺と食堂の亭主とともに昼食を共にする。
日本に行く子でもないので当然日本語は勉強していないが、なんとなく会話はつながり、最近では昼食の時間になると、電話で呼んでくれるようになった。
屈託のない笑顔が可愛い。
こうして俺の娘は増えていく。




2021年9月21日火曜日

Mid-Autumn Festival

9月21日、旧暦8月15日は、ベトナムの中秋節。
この日が近づくと、毎年会社からは月餅が配られる。
ベトナムに来てすぐに中秋節を経験し、子供たちが黄色いアセチレンの光の下を行進している風景を見たり、学生たちと寮で月を見ながらビールを飲んだりしていたが、最近の中秋節の印象はあまりない。

中秋節にちなんだベトナムの歌を日本語に訳してみると、
「中秋節にはちょうちんを持って遊びに行く。
 街中をちょうちんの明かりで照す。
 ちょうちんを手にすると心が幸せになり
 満月の下で踊っている。」
となる。

日本はと言うと、
「うさぎうさぎ、何見て跳ねる。
 十五夜お月様見て跳ねる。」

中秋節はどこの国でも踊るようだ。


2021年9月20日月曜日

have had 2 waccinations

在ベトナム日本大使館から2度目のワクチン接種日が通知され、昨日受けに行ってきた。
1回目の摂取場所とは異なり、Bac Giang市内の病院に10時30分からということで、日曜日ではあったが前回同様Oanhに付き添ってもらい、摂取会場へ。
前回は苦労して突破した血圧チェック、今回は1回でクリア出来た。
規定値よりは高めだったようだが、2回目の摂取ということもあり大目に見てくれたものと思われる。
問診も問題無く終わり、いよいよワクチン接種かと思われたがそうスムーズに行かないのがベトナム。
モデルナ製ワクチンが無くなったので、午後からの摂取に回ってほしいとのこと。
ワクチン接種は予約制であり、午前の部のワクチン数は確保しているはずなのだが、どうも予定外の人も午前中に受けたらしい。
また、ワクチン自体は10個単位に開封するらしく、10人揃わなければ開封出来ないらしい。
この間、外務省の方も動いてくれ、なんとか午前中に終わらそうとしてくれたが、無いものは仕方がない。
病院の中庭でデリバリーの昼ごはんを済ませ、日陰で昼寝をすることで2時まで待機。
この日は秋晴れのような1日で、木漏れ日の下での昼寝が心地よいのが救いだった。
その後はスムーズに摂取も終わり、ようやく2回のワクチン接種を終了することが出来た。
Oanhには1日しかない休みのほとんどをつき合わせてしまったが、この埋め合わせは映画館の規制解除時にTop Gunを観に行くということで^^...






2021年9月18日土曜日

aperitif

お昼ごはんはいつも会社の食堂でとっている。
ここは会社専用の食堂というわけではなく、教育センターに併設した自動車学校に来た生徒や先生等も集まる場所であり、日々誰と一緒に食事をとるかはその日によって変わる。
俺はたいてい食堂の主であるLuongと一緒に食事をするのだが、その日に同席した客との親睦を深めるという意味で、昼であるにも関わらず何杯かの酒を酌み交わす。
そのおかげで今ではこの食堂に来るほとんどの人と顔見知りになった。
中には全身刺青お化けやみるからにや○ざの風体を示す輩もいるが、話してみると皆礼儀をわきまえた好青年であることがわかる。
コロナで外食が規制されている中で、毎日の昼食が俺の憩いの場になりつつある。



2021年9月17日金曜日

Remote interview

コロナ発生前の面接はベトナム現地での集合面接が主であったことから、1回の面接で約3日間×2名、計6人日の稼動が取られていたが、今はZoomでの遠隔面接であることから、面接にかかる稼動と経費が大幅に削減出来ている。
面接官にしてみればスクリーン越しの面接になるのでやりにくい面があるかもしれないが、現地で短時間実習生と会った所で本質を見抜けるわけもなく、致命的な不具合は無いことから、コロナが収まってもこの傾向は続くかも知れない。
そうなると、俺はますます直接日本人と話す機会が無くなり、自分のナショナリティを見失っていくのだろうが、それも一興と割り切ろう。



2021年9月14日火曜日

3rd Center

第3センターの縫製実技視察。
コロナ禍でストレスの溜まる日々が多かったが、今日は長く会えなかった子達に会えて、楽しいひと時を過ごせた。
Thuy、コロナが落ち着いたらLuc Nganに遊びに行くよ。
その時はまた、お父さんと酒を飲もう!





2021年9月13日月曜日

Gout recurrence

昨日少し記載したが、生涯何度目かの痛風を発症し、10日程痛みとともに暮らしていた。
今思うと事前に兆候は見えていたのだが、その際の処置を怠ったため発症に至ったように思う。
発症前の症状として見えていたのは関節の鈍痛。
これは右手首や膝、足首と多岐に渡ったが、耐えられない程の痛みではないので何もしなかった。
ストレスも痛風発症のきっかけになるが、発症前は仕事上のトラブルが発生していたのも事実。
環境の変化という意味では、発症前日の引越しがあげられる。
そうこうしているうちに左足の甲に痛みを感じ、それは瞬く間に激痛に変わり、その後は左足内で痛む箇所を少しずつ変えながら10日が経った。
発症してからは、痛み止めとコルヒチンを継続的に飲んでいたが、コルヒチン自体は痛風の予兆がある際に飲む事で痛風を散らす効果があるが、発症後はあまり効力はなかった。
発症9日目にNOXA 20という、同僚から貰ったタイ製の薬を飲み始め、その後治癒に向かっていった気がする。
この間、昼食は会社の食堂で食べていたのだが、ベトナムの昼食には牛豚のホルモンや色の濃い肉類等、得てして痛風に良くない食べ物が並ぶ。
また、時には食欲を増すようにと称したコップ酒が出され、付き合いのいい俺は痛風であろうと断らない。
痛風期間中は今年最後の4連休もあったのだが、うち2日はTuan会長とHoaさんの家に招待され酒を飲むという、痛風患者にあるまじき生活を送っていた。
ようやく回復の兆しが見えてきたが、喉元過ぎれば熱さを忘れがちなことから、ここに宣言しておく。
今後は継続的に薬を服用し尿酸値を下げる努力をします!

2021年9月8日水曜日

inconvenience store

ハノイの日本人駐在者が集まるエリアには、日本料理店や日本の食品を扱っている小さなスーパーがあり、好きなときに日本料理が食べられるのだが、俺の住むBac Giangではそうもいかない。
生来の出不精に加え、市の中心地から離れた場所に引越ししたことと、引越しの日に発症した痛風により約10日間買い物にもいっておらず、その間はカップ麺で夜を過ごしてきたが、それもそろそろ限界になってきた。
重い腰をあげて、傷む足をひきづりつつ、今日は市内に買出しに行こうと思う。

日本では少し歩くと何件ものコンビニがあり、おにぎり、サンドイッチ、弁当、惣菜等、大抵の食べ物は手に入る。
24時間365日営業のまさしく名前通りのConvenience storeは海外駐在者、特に地方在住者にとって羨望の的だ。

写真はハンガリーのスーパー内にあるパン屋さん。
1個10円もしない塩味の丸パンが懐かしい。


2021年9月7日火曜日

Fruit heaven

Today is the first day of the lunar calendar.
In Vietnam, we worship on the 1st and 15th.
ということで、今日は旧暦1日でもあることから、第2センターへのお参りを実施。
ついでに、庭になる柿やザボンを収穫。
ジャックフルーツはまだ早いのでもうしばらく寝かすことに。
ろくな手入れもしていないのに、毎年実をつける生命力に脱帽。




2021年9月3日金曜日

Minh's House

連休初日はMinhの家に招待され、釣りと宴会でまったりと過ごす。
家の前の池に針を落とし待つこと5分で3Kgの魚をGet。
Thomの家の池でKimと大きな魚を釣り上げて以来の釣果だ。


2021年9月2日木曜日

National Foundation Day

9月2日はベトナムの建国記念日。
1945年9月2日、故ホーチミン主席が独立宣言を発表し、東南アジア初の社会主義国家が誕生した日。
では、ベトナムはこの日、どこから独立したのか?
ほとんどの人はフランス支配からの独立と思っているだろうが、実は日本からの独立だった。
独立宣言の中には以下の文がある。
「1940年の秋、連合国に対抗する拠点を更に築くため、日本のファシストがインドシナを侵略し、フランス帝国主義者らは跪いて日本に私たちの国を明け渡した」
「私たち民族は、フランスの手からではなく、日本の手からベトナム国を取り戻した」
俺がこのことを知ったのはベトナムに来た1年後の9月2日、ベトナムに染まりかけていた時
だったので少なからず衝撃を受けたものの、俺が生まれる前の過去の歴史と割り切ることもできた。
ただ、声高に「建国記念日おめでとう!」とは言えなかったのも事実。

俺にとってのベトナムとは、Bac Hoの独立宣言ではなく、その後に発生したベトナム戦争の印象が強い。
それも「7月4日に生まれて」のトムクルーズや「プラトーン」のチャーリーシーン、ピュリツアー賞を受賞したかの有名な写真を通しての印象でしかなく、実感はない。

さて、時代は巡り、今は全世界がコロナと戦っている。
コロナからの独立宣言を出せるのはいつのことだろうか。

2021年9月1日水曜日

Resident card,2021

2023年7月まで有効の在留カード。
2021年2月に労働法が改正され、前回交付されたものと少し違う。
前回はLDの記述だけだったのだが、今回の在留カードの就労ビザの種類はLD2、これは就労のためにベトナムに入国し、労働許可証を有する外国人に発行されるもの。
因みにLD1ビザは就労のためにベトナムに入国するが、労働許可証の免除対象である外国人に発行される。
ではどんな人が労働許可証を免除されるかというと、資本金出資者、年3回までの出張者、ベトナム人と結婚しベトナムに在留する外国人等が当てはまる。
Resident Cardと労働許可証があればベトナムで口座も開けるし、保険証も発行されるので、生活における一定の資格は与えられる。
但しすべての条件がベトナム人と同じというわけではなく、外国人としての制約は当然受ける。
たとえば保険証は決められた病院だけで有効となり、どこのクリニックでも通用するものではない。
また、銀行口座も定期預金をするにはなにやらの手続きが必要となる。
ただ、ベトナム人の身分証明書には指紋押印が必須だが外国人にはそれはないのが、唯一のいいところだ。