アスカならそう言うだろな。
サラリーマンの王道である「年金支給までの終身雇用!」を投げ捨て、ハンガリーくんだりまで流れていくんだから・・・
外国人に日本語を教えたい!
いつしかそれが、自分の「夢」になった。
2012年9月、その夢が叶うことになった。
なぜ今?
52歳、まだまだ現役、会社では社員育成部門の責任もあるのに??
定年退職して年金貰いながら叶えるのが、誰にも迷惑をかけずリスクもないやん!
プラス面でもマイナス面でもタイミングが今だったから、、、なんだろな。。
2006年、香港で開催されたTelecomWorldを視察した。
展示会場では最新Mobile機器のデモの聴講や、イギリス領事館でのレセプション等に参加したが、自分の英語力のなさを痛感した。
これが、語学(英語)に興味を持ったキッカケ。
語学教室に通い始めてからのさまざまな外国人講師との出会い。
彼らに日本に来た目的を聞くと、「日本文化に興味があったから」
自国では、SEやTeacherの職についていた講師もおり、そんな彼らが日本文化への興味だけの理由で職を辞して日本に来ている??
聞いた時は違和感を感じた。
そんな簡単な理由でふらっと日本に??
仕事を辞めてまで??
日本では到底考えられない!
彼らの行動を否定する自分と羨望する自分がいた。
否定することで、今の自分の居場所はここなんだと言い聞かせていたのかもしれない。
ただ、世の中にはそういう生き方もあるということを強く意識した。
日本だけでなく、いろいろな国を見てみたい。
それも単なる観光ではなく、何がしかの意義を持って・・・
自分には何ができるだろう?
自分が英語に興味を持ったように、どこかで日本語に興味を持ってる人もいるのでは??
これが、外国人に日本語を教えたいと思ったキッカケ。
日本語教育能力検定試験に合格することが、日本語教師として認定される近道でもあることを知り、通信教育を経て、2011年10月、この資格を手に入れた。
lost decade(失われた10年、日本では失われた15年と言われることも)
この影響で、我が社(某通信支社)も新入社員採用を凍結した時代があった。
2007年度から採用を復活し、2009年からは自身が新入社員の育成の責任を負うようになった。
2012年、本社一括採用という方針が打ち出され、支社独自での採用は再び凍結。
育成方針にも制約が課され、自分の思う方針とトップ方針が食い違う中、管理職という立場上、会社方針を推奨しなければいけないジレンマの中での葛藤。
プラス面のタイミングとは、日本語教育能力検定試験の合格、マイナス面のタイミングとは会社育成方針に対するジレンマ、そんな折、ヨーロッパで日本語教師を募集していることを知り、応募したところ、選考された次第。
あまりにも唐突に夢が叶うことになった。
夢を叶えるには、辞職という代償も伴い、それによる周りへの影響を考えると手放しにも喜べないのが現実。
この選択が正しかったのだろうか、支えてくれている面々に対する思いが入り乱れ・・・・
「あんた、バカぁ!?」
Don't make it bad!
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