世の中はメタル回線による固定通信から、ファイバー回線によるIP通信への転機を迎える頃、西日本でもIPv6を用いた独自網の研究が始まり、2000年からはこの業務に関わることになった。
これが、技術系分野での最後の仕事となった。
2009年に会社生活最後の転機である、人材開発という全く方向の異なる分野に行くことになる。
IP通信に関わった後半はエンジニアというより後輩育成というミッションであったことから、自分自身では抵抗はなかった、というか、希望していた部署であった。ここでの主たる業務は、新入社員の育成。愉快な面々の最後は新入社員の登場となる。
・・・が、彼らや育成関係者との関係は過去のものではなく、今も継続していることから、このタイミングで振り返るのはやめておこう。
後のお楽しみということで・・・
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