2021年2月27日土曜日

Durian ice

パッケージの写真だけを見てパイナップルアイスと間違って買ったドリアンアイス。
ずっと食べられずに冷凍庫で眠っていたのだが、意を決して食べてみることに。

Thailandではホテルでドリアンをカットすると罰金(匂いが部屋に充満してしばらくその部屋が使えなくなるらしい)という代物であるが、アイスの場合、パッケージを開けてもドリアン独特の香りは感じられない。
が、一口食べた瞬間、あの香り(というか匂い)が口の中いっぱいに広がる。ドリアン風味のアイスではなく、ドリアンそのものを練りこんでいるらしく、あたかも生ドリアンを食べているような感じだ。
そういう意味ではこのアイスのQualityは高い。
食べた後もしばらくは口の中にドリアンの香りが残り、ドリアン好きの人にはたまらないだろう。
で、俺はと言うと、
圧倒的にパイナップルアイス派、今後店でこのアイスを見ても手は伸ばさない。

余談だが、ベトナムでは宴会など大勢いる中で、差し(二人だけ)で乾杯することをsầu riên(ドリアン)と言う。
なぜ、2人の乾杯を「ドリアン」というか、理由は誰も知らない。

2021年2月25日木曜日

The development of Vietnam

 俺がベトナムに来たのが2014年。
当時、Phoは25,000VND、日本円にして125円程度だった。
2021年を迎えて久々に当時行っていた店に行くとPhoの値段が35,000VNDになっていた。
この6年強でPho一杯が125円から175円と約50円値上がりしたことになる。

2020年度のベトナムのCPI(Customer Price Index:消費者物価指数)は前年比3.23%となり2019年実績の2.79%から上昇したとのこと。
CPI項目別では食品類の上昇率がもっとも大きく9.99 %。
ベトナムの生活水準は確実に上昇している。

日本は少子高齢化により労働者の減少が切実な課題となっており、その労働力をベトナムやミャンマーの若い人材に頼っている。
かつての中国がそうだったように、ベトナムの経済が発展し国が富み生活水準が上がるにつれ、日本で働きたいという若者が少なくなっていくだろう。
技能実習における力関係も数年前の企業が有利な買い手市場から実習生が有利な売り手市場に移行しつつあることを、海外からの労働力を求める組合や企業が認識しないまま、今までのような上から目線の対応をしていると、そのうち日本はどこからも相手にされなくなる。



2021年2月24日水曜日

Midnight express

深夜特急:沢木耕太郎著。
文庫本で全6巻、旅心をくすぐられる且つ中毒性のある内容で、バックパッカーのバイブルとも呼ばれている。
原作は読んだことがなく、Youtubeで大沢たかお演じるドキュメンタリータッチの映像を見ただけだが、強く惹かれるものがあった。

2020年初頭、全世界で新型コロナウィルスが猛威を振るいだし、その時から自粛生活が始まった。
ベトナムではコロナの押さえ込みに成功したが、諸外国でのコロナ感染が収まらず、個人的には2018年のクリスマス旅行であるカンボジア、アンコールワットの旅が最後の海外旅行となった。

(注)日本を拠点として考えるなら今ベトナムに居る事自体が海外旅行の延長線上にあると言っても間違いではないだろうが、微妙なところだ。俺にとってのベトナムが何なのか・・別の機会に熟考したい。

また、日本帰国は2019年3月のICO Japan発足5周年記念への参加が最後となった。
以降約2年間、ベトナムという国で隔離されていることになる。

その間、周期的に「どこかに行きたい」発作が起こったが、その欲求を紛らわし「行った気」にさせてくれたのが、前述した深夜特急だった。
ネタばれしない程度に概要を説明すると、日本からイギリスのロンドンまで乗り合いバスを基本移動手段として横断する過程を描いた旅日記。

「かつてトルコで収監された外国人が脱走することを”ミッドナイトエキスプレス(深夜特急)に乗る”と言った」・・・映像版の冒頭に流れるテロップ。
これは1978年に作成された真実に基づいたアメリカ映画であるmidnight Expressからの引用だろうが、作者はこの旅を「日本でのなんらかの”収監”から逃れるためのもの」と位置づけていたのかも知れない。

70歳からの深夜特急・・・最近の夢のひとつ。
移動手段はグレードアップして(というか70歳で乗り合いバスは無理なので)飛行機と列車で。
世界一周とは行かないものの、地域を区切りながら自由気ままに旅をする。
特にヨーロッパは列車の旅が最高だ。

年老いて夢は旅路を駆け抜ける・・・それもいいんじゃないか!

2021年2月23日火曜日

Luxurious lunch

卵焼き、豚バラ炒め、空芯菜のガーリック炒めとヌックマムが俺にとって最高のお昼ご飯であり、これでご飯3杯は軽くいける。
ただ、油の使用量は半端無く、すべての料理にこれでもか!という量の油を使っている。
また、麺類といえば米粉ベースのPhoやBunといった炭水化物のオンパレードなのに、ベトナム人に肥満児が少ないのはなぜだろう?
ベトナム七不思議の1つだ。


2021年2月22日月曜日

refrigerator

我が家の冷蔵庫の中を初公開。
入っている物は、と言うと定番のビールとつまみ用のチーズ、緊急時の食材であるパスタにかけるボロネーゼの瓶詰と、たまたま買っていたカットメロン。
あと、ドアポケットには最近嵌っているCoca Cola Zeroと牛乳。

因みに冷蔵庫を英語で言うとrefrigerator、発音はre-frige-rator。
1単語の中にrが3つも入っているので、発音が微妙だと結構伝わりにくい単語。
ハンガリーにいる時、Gerryに「冷蔵庫が壊れた」と言いたくて「Refrigerator was broken」と言ってもなかなか伝わらなかった。
ようやく伝わった時、Greeyからは「refrigeratorはfridgeで通じる」とのありがたいお言葉が!
それ以来、俺の中での冷蔵庫はfridgeのみ、未だにrefrigeratorはうまく発音出来ない。
これについては「言葉なんて最終的に通じればいいのさ!」と開き直っておく。


2021年2月21日日曜日

How to spend a holiday

旧正月明け後、最初の休日。
今週は17日から4日間しか働いていないが、疲労感が半端なかった。
昨日は週最後の仕事を終え、帰宅後は夜8時から爆睡モードに入る。
夜9時と10時にTrangから電話、2回共認識はしたのだが、夢見心地であり取ることは出来ず・・
「Trang、ごめんよ」と心の中で詫びつつ再び眠りに落ちる。
翌日曜つまり本日、6時20分にアラームが鳴るもスルーして2度寝。
7時半に目が覚めたが、携帯でネット社会を訪問しうだうだと布団の中で時の無駄遣い。
今日は休みだし予定もないのでこのまま永遠と堕落した生活を送ってやろうぜっ!・・という悪魔の声を振り切り、8時半にシャワーを浴びる。

いつの頃からかは忘れたが、いつも朝にシャワーを浴びるようになった。
今ではシャワーを浴びない事には1日が始まらないという、なんとも不便な戒律が自分の中に出来上がっており「朝起きて5分で出かけられる」という人が神に見える。

シャワー後は目覚めの1杯。
ビールかコーヒーかを悩んだ末に、朝のアルコール摂取は正月と蟹旅行用に取っておくこととし、ホットミルクコーヒーを選択。
そうそう、今年の元旦は寮で一人で過ごしたことを人に話すとほぼ全員が「寂しいね」と言うが、俺にとってはそうでもない。
友達とわいがやで飲むのも楽しいが、1人で映画を見ながら家で飲むのも俺にとっては外飲みと同等に楽しいのだ。

昔の日本では夕方になると「早く帰るんだよ」的な音楽(どんな音楽だったかは忘れた)が町内放送で流れたが、Bac Giangでは朝5時半になるとニュース的な放送や音楽が6時半まで流れる。
日本に比べて朝の始まりが早いのは熱帯気候も関係しているものと思われるが、かといって冬だからこの音楽の開始時間が遅くなるわけでもない。
ベトナム北部は日本と同じく四季があるのだが、Bac Giangでは季節に関わらず朝の始まりは5時半と決まっている。
季節に応じて放送時間を変更するといったきめ細やかな配慮はなく、南国特有の大雑把さがなせる所以だろう。
朝が早い分、全ての行動が前倒しされる。
只今11時20分、英語の勉強も終わり少々早いが昼食時間も前倒しということで、且つ昼ならアルコールも許されるとの論理のもと、ビールを空ける。
お昼ご飯は、例によりベトナムの麺類であるMienを作ったが、せっかく買った干しシイタケと鷹の爪を入れ忘れるという愚行ぶりに萎えた。

すりガラスの窓越しに明るい陽射しが、まるで俺を外に誘っているかのように差し込んでくる。
久々に近くの公園に行き、思い出の多い椰子の木の下で読書でもするか。
その前に少しベッドでメールチェック・・のつもりが速攻眠りに落ちる。

約1時間の惰眠後、3時のおやつにLuc Nganでいただいた拳より大きなザボンを食べようと思ったが、皮むきの面倒さに断念、これは明日会社に持って行こう。

4時、Thuongから飲みのお誘い。
能動的に出かけることはないが、誘われた時は余程の事が無い限り断らないのが海外暮らしを円滑にする礼儀とばかり、5時から飲みに出かけることに。
ベトナムに来て・・いやっ、ハンガリー時代も合わせての今までで飲み会のお誘いを断ったのは1回のみ。その1回は精神が病んでいたのだろう、どうしても行けなかった・・
苦い思い出。

Thuongとの飲み会は鰻の店で。
鰻といっても日本のそれとは似ても似つかず、味の無いドジョウと言った方が的を得ている。
ベトナムの鰻に日本と同じイメージを持つ勿れ、これベトナムのあるある。

帰宅後はTrangに昨日の電話スルーのお詫びをし、本日の予定はComplete。
後は睡魔が襲ってくるまで、Youtubeの旅番組を見て過ごす。
コロナ蔓延の中なので、今はVirtual Travelで行った気になろう。
では、おやすみぃ~!





2021年2月20日土曜日

Thuong Bridge

Bac GiangのLong Bien Bridge(と俺が勝手に呼んでいる)の袂からの景色。
Bac Giang在住7年目にして初めて川岸に降り立った。
因みにこの川の名前はThuong Riverといい、この橋の正式名称はThuong Bridgeと言う。
日本語に訳すと「愛の橋」
だからこの橋を見渡せる対岸の橋の欄干にはメッセージが記されているのか・・・納得だ。






2021年2月19日金曜日

New Year's money gift

ベトナムにもお年玉の習慣はあるが、日本のそれとは少し違う。
日本なら通常は大人から子供への一方通行だが、ベトナムでは年下の者が年長者にあげることも往々にしてある。
旧正月のお年玉は俺にとっては会社のみんなに感謝する手段であり、基本社長以外の全員に渡す。
社長に渡すのはなんとなく失礼な気がするからね。

今年はThuongにお願いし新札を用意してもらった。
ベトナムでは新札に両替するのにも手数料が必要で、700万ドン(約35,000円)の新札を入手する手数料は50万ドン(2,500円)。
これは本来は違法であるが、ベトナムでは横行している。
なので、お正月のお年玉に備えて日頃から新しい紙幣を残しておくほうが得策だ。
50,000ドン札と20,000ドン札を用意したのは、2枚合わせて70,000ドン、つまりラッキー7となるため。
だったが、Thuong曰く、ベトナムでは7という数字はあまりよくないらしい。
縁起のいい色は赤、50,000ドンがそれにあたるので、これを2枚でいいか。
両替した100枚の2万ドン札はどうしよう・・・使い道が無くなった。。
お年玉袋も縁起のいい赤に金色の文字が入ったもので統一。
そういえばベトナムの国旗も赤地に金の星だった。
新たな発見だ。



2021年2月18日木曜日

Start working 2021

 2021年2月17日、旧正月明けのベトナムでの仕事始め。
8時からZoomで各支店を繋ぎ会長から新年の挨拶、その後は各支店ごとで新年の行事を実施。
Manpowerでは今年に向けた期待のSpeechと共にお年玉を配り、9時半からは近くの店で新年会に突入。
途中、ICO HoldingやLavimanからの新年の参賀を受けつつ、今年のManpowerの発展を祈る。
こういう点は古き良き時代の日本のようで、御用始めとは名ばかりで、仕事を開始するでもなく社内での結束を誓うことに終始する。
日本で業務を実施しているICO Japanからすると歯がゆい気もするだろうが、今日一日はお許しを。
で、肝心の仕事始めについては、コロナ第4波がベトナムを襲いつつあることから、2月中は実習生を自宅待機とし、それに伴い教師も休職とする。
2月中は募集部と国際部のみが業務を継続、通常業務に戻る判断は2月下旬のコロナの状況に委ねることで決定。
ということで、旧正月が明けた今も通常業務に戻れないもどかしさはあるが、2021年度中のコロナの終息を祈る。







2021年2月17日水曜日

Hết Tết 2021

旧暦年末年始、このご時世なので予定していたMinhとのベトナム南部への旅行は取り止め、Bac Giang内で旧正月を過ごすこととする。
所謂「Stay Bac Giang, Stay Safe」だ。


2021年のTet期間の過ごし方は既にBlogで報告のとおりだが、日々の日記風に纏めておく。

2021年2月10日(水)

Tet休暇初日、夜中に目が覚める。
時間を見ると3時33分、普段なら仕事に備えてまた寝るのだが、これから1週間の休みに入る事もあり、気にせずに起きる。
明日からの旅行の予定がコロナのため断念したことにより、今年のTet休暇の予定はぽっかり空いてしまったので、これからの休みをどう過ごすかを考えた。
1週間だらだらと過ごすと調子を崩しそうなので、ある程度の計画と目標を決めておく。
ということで、思いついたのが、

①Youtubeで英語の復習
日本に居た頃の3年程真剣に英語を勉強し、その後のハンガリー生活での同僚とのコミュニケーションは英語だったことから、なんとなく考えなくても英語が出てきていたのだが、ベトナムに来てからの約6年半、英語は全くといっていいほど使っておらず、英語力は低下の一途を辿っている。
このままベトナムに居るのなら、英語よりもベトナム語をマスターすべきであり、何回か勉強もしてみたが、やはりベトナム語の響きがどうしても好きになれない。
なのでベトナム語は最低の挨拶ぐらいを覚えることとし、もう一度英語を練習しようと思う。
このままベトナムで永住するかもわからないし、将来はバリ島かマレーシアのペナン島あたりで住むのも悪くない、その時はやはりベトナム語よりも英語だろう。
Youtubeには英語の教材が溢れているので、勉強する手段には事欠かない。
少なくともこの1週間の休み中、毎日30分は勉強を続けよう。

俺のお薦めの英語学習チャネルとしては以下の2つをあげておく。
Sakura English Schoolとあいうえおフォニックス
特にあいうえおフォニックスはAllyとFuzzyという子供がフォニックスを教える動画で特にFuzzyの声が可愛いくて飽きないのでお薦めする。

もうひとつの目標として、
②1日1回は外に出る
俺は基本活動的ではなく、用事が無い時は1日中部屋に引き籠っていることが多い。
通常の6日勤務1日休みのパターンではそれもいいが、流石に1週間引き籠ると、その後に後遺症が残りそうで怖い。
なので、年末始休暇中、必ず1回は外に出ることとする。
する事は特になんでもいい。
Bac Giangの街や市場を徘徊するのでもいいし、High Land Coffeeでベトナムコーヒーを飲みながら英語の勉強をするのもいい。
兎に角1日1回は外出する事。

こういうことを考えていたら早くも8時半になってしまった。
シャワーを浴びて活動モードにチェンジしよう。

9時からCoop Martに買い物に行く。
Lyに作り方を教えてもらったMien(春雨ヌードル)の材料を購入し、初Mien料理に挑戦。
決め手は何と言ってもスープ、干しシイタケと生ショウガ、だしの素とヌックマムで出汁を取る。
水で戻した春雨をスープに入れ、刻んだネギと唐辛子を加えてひと煮たちすれば完成。
今回は鶏肉を入れなかったのだが、それなりに仕上がった。
これはお手軽だし、今後もお世話になること間違い無しだ。


その後は英語の勉強。
Youtubeで探すとCineLingualという、映画で英語を勉強するというサイトがあったので、それを教材として1時間程度勉強を実施。
終わった後は同じくYoutubeで映画を探して観る。
「252生存者あり」という映画で、まま面白かった。

夕食は鶏の胸肉焼きとキャベツ炒めで早めの夕食。
食後は寝落ちしそうになったがTrangからの電話で辛うじて持ち直す。
Trangからのリクエストは散髪に行く事、お正月前に小奇麗にしておけとのことか・・。
明日行くことを約束して電話を切る。
その後Minhからは明日大晦日のお参りのお誘いを受けた後、9時にはベッドに入る。
こうしてコロナによる引き籠り1日目は終了。

2021年2月11日(木)

朝7時にシャワーを浴び、隣にあるカットハウスに行ったが、なんと今日から休みのようで、通りの店一帯がシャッターを下ろしている。
それはそうだ、今日は大晦日だものな。


お正月の飾りを売る店は本日が最後のチャンスとばかりに路上に軒を連ねる。
コロナの影響もあり、飾り物の売上げはよろしくないようで、まだかなりの量が残っているようだ。
基本的にベトナム人はなんでもバイクで運ぶ。
少々の大きさの植木などは自転車でいとも簡単に運んでいく。
強者になると、バイクの荷台に冷蔵庫や洗濯機などの大型家電も平気で積んでいる。
ベトナムパワー、恐るべし!




朝8時半にMinhの迎えで移動。
お参り(というかお祈り)はBac Giangの中心部から車で約10分の第2センターの祭壇にて行われる。
第2センターはICO発祥の地であり、Manpowerが最初に業務を始めた所。
周りには緑が生い茂り、センターの中庭にはライチ、ザボン、柿、マンゴー、スターフルーツなどの木があり、それぞれ収穫時期には沢山の実をつける。
建物自体も趣があり、数あるICOセンターの中でも一番好きな場所。







お祈り後は祭壇に祭った鶏とおこわで最後の忘年会。
ベトナム酒で既に出来上がった後はICO Constructionの社長の家に誘われ2次会。
そう、ベトナムのお正月(実際はまだ大晦日だが)はこのように、1か所での宴会が終われば次の場所というように、エンドレスで宴会が行われる。
去年Kimの家に行った時も大晦日の夜にしこたま飲み、元旦の朝は家で食事がてら軽く飲み、その後はKimの親戚の家を回り回っては飲むということを繰り返した。
帰宅後は昼寝、夜は昨日の出汁の残りで年越しそばならぬ年越しMienで行く年を送る。
今年はコロナの影響で0時の花火は自粛とのことだったが、多分有志が勝手にやっているのだろう、新年を迎える5分前から花火の音が響く。
それも少しの間で、その後は静寂・・・例年と比べて静かな年明けだった。

2021年2月12日(金)

朝6時20分に目が覚める。
いつもの休日であればここからだらだらとベッドの中で過ごすのだが、今日は少し違う。
何と言っても旧正月の元旦、年の初めぐらいはしっかりと、と思いつつも7時までうだうだし、それからシャワーを浴び、Cafe Saigonと共にまずは英語の勉強。


9時、缶ビールとThuongに貰ったハム(とThuongは言っていたが)で午前飲み開始。
例によってYoutubeで探した映画とともに。
今日の映画は竹内結子と堺雅人主演のゴールデンスランバー。
これはお薦めだ
(3) 竹内結子 堺雅人 ゴールデンスランバー フル English Sub - YouTube

13時30分、遅めの昼食は俺の得意料理であるキャベツと玉子の炒め物。
塩コショウと醤油でただ炒めるのみのお手軽料理。
ごはん1合で腹一杯になり、睡魔に任せて少し昼寝のつもりが起きると2時間も経っていた。
あとはともだちとメッセージをしたり、Facebookに返事をしたりして、時間が過ぎる。
21時、遅めの夕食は湯豆腐とビール。
カツオの刺身があれば最高なのだが、そういう洒落たものはここにはない。
小腹がすいた時の神飯である玉子かけご飯も、生玉子を使うのが怖くて出来ない。
これがBac Giangというruralエリアの辛い所、ハノイなら生食用の玉子もマグロの刺身や寿司もAeonで手に入るのだが。。
仕事が始まったら日本大使館に行く用事もあるので、その時Aeonに寄って買いだめをして来よう。
食後はYoutubeを見たりしてうだうだと過ごし、元日は終了。
あっ、休み2日目にして家から一歩も出なかった。。

2021年2月13日(土)

テト2日目は7時30分起床、シャワーを浴びた後にLyの家に向かう。
道はうろ覚えだったが、待ち合わせの場所まで意外とスムーズに到着。




Lyの家までの道順は幹線道路を曲がってからがわかりにくく、ここからはLyの先導がなければ家まで到着出来ない。

去年と違い今年の正月は天気も良く、田園風景がいつにも増して綺麗に見える。





Lyの家は道の突き当たりでその先にはパイナップル畑が広がるのみ。
ベトナムの田舎ではその先どこへも進めない道が多々存在する。
全ての道がローマに通じているとは限らない。






食事の後はLyの子供、Dâuとの癒しタイム。
Dâuとは今回初めて会ったが、会って5分で仲良くなった、
「bế、bế」と言ってなついてくる。
日本語にすると(直訳はゆりかごだが)「抱っこ、抱っこ」という意味。
これは万国共通、どこの国の子供も同じだ。







帰り間際、お土産にと、お正月の定番料理であるBanh ChungとBuoi(ザボン)と蒸し鶏を頂いた。
ザボンはご丁寧に皮を剥いたもの。
流石に長く一緒に仕事をしているLyだけに、丸ごと貰っても皮を剥いてまで食べないという俺の事を良くわかっている。


帰り道は案の定、まともに幹線道路に出られず、約30分程彷徨った後にようやく戻れた。
おかげで途中にあったお寺で初詣も出来たのでそれはそれでよかった。





幹線道路脇にはお正月用の育てた桃の花の畑が点々としている。
やはり今年はコロナの影響で売り上げが悪かったのだろう、売れ残った木が残されている。



帰宅後は昼飲み後の昼寝、その後はBanh ChungとMienで夕食。


食後はだらだらと過ごし、テト2日目は終了。
あ~、今日は英語の勉強をしなかったな・・。

2021年2月14日(日)

テト3日目、日本で言うところの三が日最後の日。
今日も昨日と同じく穏やかな日で、入口の扉と窓から入ってくるそよ風が心地いい。
そよ風・・・響きもやさしい日本語の良き言葉。
英語ではGentle breeze、英語でもなかなか粋な言い回しだ。
朝、日本にいるNgan先生から年始の電話をいただく。
今年の8月にはベトナムに帰るという。
その頃にはコロナが落ち着いている事を祈る。
大晦日の日、Tuan会長が親戚の集まりに俺を招待してくれたので、今日は会長の家で新年会を実施。
9時、息子のMinhが迎えに来てくれ、Tuan御殿に向かう。
丘の中腹に建つ、というかそびえるのは個人の家というよりは何かのモニュメントのよう。
毎回思うが、ここの掃除は大変だろうな。 




宴会は昼過ぎまでで、その後は市内にある喫茶店でまったりと日向ぼっこで時を過ごす。
去年の旧正月は雨が続いたが、今年は晴天の穏やかな日が続いている。
コロナの発生を抑えられているBac Giangだからだろうか、第4波の影響は無い。
そんなこんなでTet3日目は終了。

2021年2月15日(月)

テト4日目、朝Nguyetから電話、今日は子供を連れてBac Giangに戻ってくるという。
Nguyetはシングルマザー、去年子供が産まれたが結婚はしていない。
Nguyetとは一昨年のお正月にお寺でばったり会って以来なので会いたかったが、生憎別用があるので、またの機会に。
9時にセンターを出発、約30分でThaoの家に到着、簡単な年始の挨拶の後、Luc NganのThuyの家に向かう。
Luc NganはBac Giangの中で最も好きな場所。6月から7月にかけてライチで真っ赤に染まる街。
生憎今の季節はほとんどの果物が旬を過ぎ次の実を育てている最中だが、丘に上がるとあたり一面の新緑で空気が変わる。



Thuyの家で年賀と祝宴後、帰宅。
途中BIgCでフランスパンとハムを購入、ベトナム料理漬けだった日々をパンで癒す。
日本で言うところの七草粥のようなものだ。
Tet4日目も無事終了。

2021年2月16日(火)

朝7時半起床、シャワーを浴びベトナムコーヒーで1日が始まる。
今日は旧正月最後の休日なので、ゆっくりと過ごすことにする。
まずクリアすべきは英語の勉強。
10時までCineLingualで勉強後、「二百三高地」という古い映画を見始める。
11時、Ly、Minh、Tuyenから立て続けに電話有。
実は昨日、ハノイで日本人男性がコロナで亡くなったのだが、それを受けたBac Giang省の公安が省内にいる日本人の調査を実施しているとのこと。
11時15分、センターに緑の制服を着た公安の警官が来て俺の所在確認を実施、後ほどコロナの検査キッドを持って再度来るのでセンターから出ないことを通告された。
Lyが言うには「政府の方針でベトナムにいる外国人の安全を保つために、外国人はPCR検査をしなければならない」との事だが、優しい口調の軟禁命令と同じだな。
まあ、今回の旧正月休みはBac Giang省からは出ていないことから、問題もないだろうし、PCR検査をしてくれることで陰性の証明ももらえるので、検査をすること自体歓迎なのだが、万が一陽性判定が出たら大騒ぎになると思うと、結果を聞くまで落ち着かない。
15時、公安の警察2名とともに看護士が来てPCR検査を実施。
防護服はニュースや写真で見慣れているが、いざ目の前にするとあまりいい気持ではない。
センターの入口で検査を実施、鼻と舌から採取し、検査溶液につける。
結果がすぐ出るのかと思いきや、2,3日かかるという。
因みに検査費用は734,000VND、日本円にして約3,400円ぐらい、昨年PCR検査が実施された当初は約9,000円程したのだが、当時と比べてかなり安くなっている。
結果が陰性であることが前提ではあるが、安心料としては安いものだ。
結果が出るまで隔離が続くのかと思いきや、明日の初出は出勤してもいいらしい。
これは事前にBac Giangから出ていないという報告をしていたから、みんなもPrecautionという認識で、さほど警戒はしていないからだろう。
そんなこんなで旧正月最後の日は過ぎて行った。