親父の仕事は海上保安庁一筋だった。
俺が小学校1年の時、和歌山の田辺海上保安庁に転勤になった。
2度、3度、海上保安庁の事務所に遊びに行った記憶がある。
中学3年の1学期を終えた頃、神戸にある第5管区海上保安本部に転勤となった。
俺は和歌山に残ることを望んだが一人で住めるわけもなく、大阪の枚方に移り住んだ。
この頃の事は以前も書いたが、俺が枚方で過ごしたのは2学期のみであり、3学期が始まる頃には俺は1人で和歌山に舞い戻ることにした。
この後、親父と一緒に住んだのは大学浪人が決定して2ヶ月余りのみで、その後俺はアパート込みの新聞配達で浪人生活、大学入学後も家から通うこともなかった。
両親と一緒に住んだのは中学3年の2学期までで、それ以降両親に対しては親不孝しかしていない気がする。
働きながら夜間大学を卒業した親父と、浪人の末入った大学を中退した俺。
海上保安庁を最後まで勤め上げた親父と、NTTを早期退職し日本を飛び出した俺。
俺は最後まで親父を超えられなかったな。
最期の日も見送ることが出来ず、それ故に親父の死がなんだか他人事のようで親父が死んだ事にけじめがつけられない日々が続いたが、初七日を迎える本日で親父への追悼は最後とする。
NTTグループを早期退職、セカンドライフとして2年間のハンガリー生活を経て、現在はベトナムに活動の場を移しています。 異国での出来事について、徒然なるままに綴っていきたいと思います。
2021年11月19日金曜日
sorrowing 11/19
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿