ナポレオンが泊まった家がジュールにある。
ナポレオンといえば、フランス革命以降、ヨーロッパの大半をその勢力化に置いたフランスの皇帝。
1805年と1809年の2回、ウィーンを占領している。
ハンガリーは当時オーストリアのハプスブルク家に支配されていたのだが、ナポレオンは2回目のウィーン制圧の際、ハンガリーの大地主であるエステルハージ・ミクローシュに、独立したハンガリーの国王にならないかともちかけた。
ミクローシュはナポレオンの誘惑を断り、ナポレオンに惨敗を喫したハプスブルク家の皇帝フランツ2世の救出に助力した。
下の写真は、2回目のウィーン制圧から1ヵ月後の1809年8月31日、ナポレオンがジュールに立ち寄った際に泊まった家。それを示すプレートが扉の横に掲げられているが、よくよく注意して見なければ気づかないほど小さい。
ナポレオンの誘惑に屈しなかったミクローシュといい、来訪をさほど大きく宣伝しないことといい、ハンガリー人の気骨の表れか・・・
日本でも、マッカーサーがどこに泊まったとかは敢えて宣伝しないもんな。
ナポレオンといえば、フランス革命以降、ヨーロッパの大半をその勢力化に置いたフランスの皇帝。
1805年と1809年の2回、ウィーンを占領している。
ハンガリーは当時オーストリアのハプスブルク家に支配されていたのだが、ナポレオンは2回目のウィーン制圧の際、ハンガリーの大地主であるエステルハージ・ミクローシュに、独立したハンガリーの国王にならないかともちかけた。
ミクローシュはナポレオンの誘惑を断り、ナポレオンに惨敗を喫したハプスブルク家の皇帝フランツ2世の救出に助力した。
下の写真は、2回目のウィーン制圧から1ヵ月後の1809年8月31日、ナポレオンがジュールに立ち寄った際に泊まった家。それを示すプレートが扉の横に掲げられているが、よくよく注意して見なければ気づかないほど小さい。
ナポレオンの誘惑に屈しなかったミクローシュといい、来訪をさほど大きく宣伝しないことといい、ハンガリー人の気骨の表れか・・・
日本でも、マッカーサーがどこに泊まったとかは敢えて宣伝しないもんな。
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