2021年1月2日の旅は盛り沢山。
Yen Minh(イェンミン)からDong Van(ドンバン)までを走りきる。
朝、相変わらず寒空の中、まずはモン族の映画の舞台となったNha cua Pao(Paoさんの家)とモン族の村を見学。
モン族の村ではお土産や花を売っているのだが、売り子の誰一人として商品を勧めるわけでもなく、観光地特有の商売合戦といったものがない。
隣の省の観光地であるSapaでは、少数民族の子供が英語、中には日本語で「買って、買って」と付きまとってくるのに比べ、ここの子供は物静かでみんな純粋に見える。
一方、近年では観光客が少数民族の子供にお菓子を配るせいで、子供たちが学校に行かず、道端で観光客が来るのを待つようになりつつあるとの話もある。
秘境が秘境でなくなった時、この民族もSapaのように変化していくのか、それとも彼らなりの観光客との共存方法を守っていくのか・・
そこからカンティ峠を越えると、観光標識によるとMoon surfaceと呼ばれる岩石剥き出しの山に到着する。
ベトナム北部特有の湿気を含んだ冷たい風の中で見る辺り一面は、月面を彷彿させる。
この岩場の上にも花かごを背負ったモン族の子供が座っていた。
相変わらず、笑顔で。。
モン族の王様であったVuong Chinh Ducが建立した王宮は、門内に3つの中庭を有した2階建ての建物で、王宮というより日本の城の佇まいのようだった。
アヘンの流通により富を築いていたことから、建物の装飾にも芥子の実や花の彫刻が施されている。
今でもこの建物の管理は王の末裔が実施しているという。
庭の一角にあったブランコは当時からのものなのか、はたまた後付けかが気になるところ。
次に向かったのは、ベトナム最北端、Lung Cu Flag Tower。
Lung Cuの小高い丘に高さ30mの塔が建てられ、塔の麓に行くまでに徒歩10分、塔の頂上までは螺旋階段で30mを登る必要がある。
苦労して登る価値はあり、塔の頂点からの展望はすばらしい。
登り終えた後、炭火で焼く餅で小腹を満たしていると、店のおばさん(モン族)がいつの間にかいなくなり、その間俺とMinhが1個50円の餅を焼いては売るという、にわか店員となった。
こういう点ベトナム特有の大らかさなんだろう。
次の街であるMeo Vac(メオバック)までは中国とのBorder Belt沿いを走る。
以前、VISA更新のため、ベトナムから中国へ歩いて入国したことがあるが、その時はベトナムのイミグレーションと非武装地帯を経た中国のイミグレーションといったように国境が明確であった。
が、ここは標識が国境を物語るだけ。
島国日本と違い、陸続きで国が跨っていることが、この標識で実感出来る。
そういえば、ハンガリーとスロバキアの国境はドナウ川にかかる橋の真ん中で、イミグレーションはそれぞれの国側の橋の袂にあったっけ・・・。
本日最後の目的地はマピレン渓谷での川くだり。
渓谷までは曲がりくねった細い山道をバイクで下ること約10分、途中すれ違うのも困難な道幅で、到着までかなりのスリルを味わえる。
車で来た人は上で車を止め、Xe Omというバイクタクシーで渓谷まで降りることになる。
川の色はエメラルドブルーで、岩肌剥き出しの渓谷を下っていく。
下るといってもこの川は所々ダムで仕切られており、川の流れで下るのではなく、エンジンにより周回するというのが正しい表現となる。
ボードの動きに身を任せながら、岩肌にへばりついた家に住む少数民族たちを眺めているうちに、彼らがどういう暮らしをしているのか、確かめたくなった。
暖かい時期に1ヶ月ほどここで暮らしてみるのもいいかも・・、日常とは違う何かが見えるかもしれない、そう思った。
ハザンで泊まるのは本日が最後、明日の夜はバスの車中泊となることから、夜は改めて新年の宴会を実施。
グアバを漬け込んだ酒と山の幸のBBQ、飲んだ後は生姜の効いた善哉で閉める。
こうしてハザン2日目は終了。
NTTグループを早期退職、セカンドライフとして2年間のハンガリー生活を経て、現在はベトナムに活動の場を移しています。 異国での出来事について、徒然なるままに綴っていきたいと思います。
2021年1月6日水曜日
Ha Giang Day2
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