2024年10月25日金曜日

HaNoi Day1-1 Ho Chi Minh Mausoleum

先月からボランティアの日本人の方に仕事のお手伝いをしてもらっている。
主としては実習生への会話の授業だが、日本からのお客様が来た際には、面接や視察に同行いただいている。
今回、ベトナムに来て1ヶ月が経過したので、その間のお礼としてMinhと一緒に1泊2日でハノイを案内することにした。
まずはセンターを6時30分に出発し、8時にホーチミン廟に到着。
廟で眠るホーチミンさんと対面後は、ホーチミンさんが晩年を暮らした家や一柱寺を巡り、ホーチミン博物館で締めくくる。
廟の前のバーディン広場では明日のハノイ開放70周年記念日の予行演習だろうか、軍人の姿も多く見受けられた。

閑話休題
ホーチミン主席の成り立ちとベトナム戦争までの歴史が自分の中で混沌としていたので、この機会に整理しておく。
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ベトナムの革命家であり、ベトナムを独立に導いたホーチミンは、1890年に生まれ、1969年9月2日、ベトナム戦争の終結を見ずに永眠した。
ホーチミンはNghe An省で生まれ、Hueの大学を退学後、フランス船のコックとして21歳でマルセイユに到着し、海外生活を始める。
船員として各国を巡り、27歳でパリに戻る。
この年に発生したロシア革命ではレーニンを支持するようになった。
29歳、フランス社会党に入党、その後33歳でソビエト連邦に移り、共産主義者となる。
この頃からベトナムの独立を目指すようになった。
1939年、ホーチミン49歳の時に第二次世界大戦が勃発
1940年、ドイツのフランス占領に伴いフランスはベトナムから撤退、代わりにベトナムを統治したのがドイツと同盟を結んでいた大日本帝国となる。
1941年、ホーチミン51歳の時に、ベトナムに帰国し、ベトナム独立同盟(ベトミン)を組織し、主席に就任、ベトナムの独立に向けて動き出す。
1945年8月15日、大日本帝国がポツダム宣言を受け入れ、ベトナムは事実上無政府状態となった翌日、ホーチミンはベトナム独立に向けた民衆蜂起(ベトナム8月革命)を起こす。
同年9月2日、ホーチミンはハノイのバーディン広場でベトナム独立宣言を発表し、ベトナム民主共和国の初代国家主席となった。
1946年、第二次世界大戦の終戦によりフランスが再度ベトナムを統治しようとして始まったのが第一次インドシナ戦争。
1954年、第一次インドシナ戦争最大の戦いであるディエンビエンフーでの戦いにベトナムが勝利したのをきっかけに、スイスのジュネーブでの和平会談にてジュネーブ協定を締結し、フランスのインドネシアからの撤退が決定した。
この協定の中で南北に分断していたベトナムは、1956年に全土統一を図ることとしたが、アメリカはこれに合意をしなかった。
1960年、南ベトナムではベトナム共和国政府を樹立し、北ベトナムとの統一を拒否したことで、南北の敵対が烈火し、アメリカ軍が南ベトナムを支援し軍事介入したことにより第二次インドシナ戦争、後のベトナム戦争に発展していく。
戦争のさなかの1969年9月2日、ホーチミンは心臓発作にて79歳にて永眠。
ベトナム戦争は1973年にアメリカ軍が完全撤退し、1975年4月30日のサイゴン陥落により15年の長きに渡ったベトナム戦争が終結、翌日5月1日、南ベトナムの首都であったサイゴンはホーチミン市に改称される。
その後、1976年7月2日に南北統一が実現し、現在のベトナム社会主義共和国が誕生する。
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現在、ホーチミンの遺体はエンバーミング処理を施され、ホーチミン廟に安置されている。













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