2022年5月30日月曜日

Eating noodles

朝食としてNgocに差し入れてもらった出前のBun Ca。
ベトナムあるあるだが、麺類を出前する場合の入れ物はビニール袋と相場が決まっている。
スープの熱さでビニールの成分が溶け出さないかと心配になる。
多分少しは溶け出しているとは思うが、そんなことを気にしていてはベトナムローカルには住めない。
ベトナムで麺類はベトナム風サンドイッチであるBanh miと並んで朝食の定番であり、種類は豊富にある。
俺がベトナム料理の中で最も好きなのがこの麺類。
特にスープが旨い!
店内で食べると少々スープが薄くても、ライムを搾ったりニンニクと唐辛子を漬け込んだ酢を加えたりして自分好みの味を作ることができる。
付き合わせの野菜の量は半端なく、店ではこれをお代わりも出来る。
麺は米粉で作った生麺のPhoか、少し発酵させたBunが定番、Phoはうどん、Bunは素麺のような感じ。
ベトナムの麺類食べ歩きの旅に出たいと思う今日この頃だ。
名づけて「ベトナム麺紀行」・・始まりに乞うご期待!



2022年5月29日日曜日

Saturday Lunch

土曜日の昼食は募集部と鍋。
蝉の空揚げは遠慮しておこう^^



2022年5月27日金曜日

2022年5月23日月曜日

Wrist pain

多分痛風だと思うが、右手首尺骨茎状突起が腫れてきた。
正確に言えば右手首尺骨茎状突起上部に尿酸結晶が出来たようで、昨日から痛さに悩まされている。
足の発作と違い歩けなくなることはないが、日常生活には支障をきたしている。
何が不便というと、まずは朝のシャワーと歯磨き。
続いて食事、箸が持てない。
バイクはアクセルをふかせないので乗ることが出来ず、買出しにもいけない。
これまでいかに利き手に頼っていたのかがよくわかる。
で、治療法といえば、以前Nhiにもらったmade in Thailandの薬であるNoxa 20を服用すること。
さて、何日で痛みは軽減するのか、人体実験の始まりだ。

2022年5月21日土曜日

Vietnamese Wine

ビールが切れたので近くの何でも屋に買出しに行った際に、ベトナム産のワインを見つけたので買ってみた。
ベトナム産ワインといえばダラット産が有名なのだが、今回見つけたワインの名前はThang Long、つまりは旧のハノイの名称。
ラベルにもハノイのフラッグタワーや一柱寺、文廟といったハノイの観光地が描かれている。
ハノイでブドウが採れるとは聞いたことがないのだが・・。
ボトルの趣きや味は日本の赤玉ワインのようで、飲みすぎると確実に二日酔いになるような、妙に昔懐かしい味だった。

2022年5月20日金曜日

Flamboyant

冬の間は枯れ木にしか見えないセンター入り口の火炎樹が花をつけた。
この花が咲くとベトナムでは卒業シーズンを迎える。
南国らしい花だ。


2022年5月19日木曜日

Z98

コロナが蔓延する前はよく行っていたビアホール。
この間オーナーは変わり、リニューアルしたということなので、約3年ぶりに行ってみた。
以前のアメリカっぽい作りから、エジプトを模した作りに変わっており、以前は無かった生ビールがあった。
店内がおしゃれな分値段もBia Hoiの数倍なので、野郎同士で行く店では無いことは確かだ。






2022年5月18日水曜日

Gate of youth

五木寛之著「青春の門」的に青春時代を振り返ってみるも、俺には感受性豊かと言われる思春期の思い出が少ない。
大阪の岸和田で生まれ、物心付くまでの期間を岸和田で過ごしたらしいのだが、その時の記憶といえば、長屋の四畳半と共同の炊事場、長屋の入り口で撮ったと思われる着流し姿の親父の写真のみ。
結核を患った直後に撮ったとかで、自暴自棄の太宰治のようないでたちの親父の写真が1つめの記憶。
その後、大都市周辺のニュータウン計画に基づき開発された公団住宅の抽選に当選し、俺が幼稚園の時に移り住んだのが大阪府吹田市古江台。
お袋と買い物に行った際、マーブルチョコレートをくすねたのだが、帰り道にかちゃかちゃと鳴る音であっけなくお袋にばれ、店まで返しに行ったことが2つ目の記憶。
小学校1年の2学期に親父の転勤で和歌山県田辺市に移動、田辺第二小学校に転校することになる。
東洋中学校の前でお袋が撮った俺の写真、これが3つ目の記憶。
小学校5年生の時、親父の勤務先である海上保安庁の宿舎が上富田に出来、転宅したが、俺は小学校を転校せず、卒業までの約1年間をバス通学をすることとなる。
中学校は地元の上富田中学校に進み、バスケット部に腰掛けた後、野球部に所属。
この頃に、未だ腐れ縁で付き合っている6人のメンバーと出会う。
中学校3年の時、親父の転勤で大阪の枚方に転校。
今では学校の名前も忘れたが、ここでは運動はほぼトップだが、勉強には全くついていけない状態だった。
英語の時間、Have toを「ハブツウ」ではなく「ハフトゥ」と発音する先生や生徒が馬鹿に見えたが、実際の馬鹿は俺だった。
大阪という都会に住む子供は要領がよく、進学の足しにもならない水泳大会やリレーの選手役はすべて俺に回り、みんなは高校受験のための進学塾への日参が続く中、俺は小児麻痺で腕が伸ばせない奴と、頭は悪いがよくもてる奴とつるんでいた。
その生活は大阪での2学期を終えることなく破綻する。
過去最大の反抗期により、大阪から和歌山に舞い戻り、母親の知り合いの家に居候させてもらいながら最後の中学時代を上富田で過ごした。
警察官のお父さんと面倒見のいい太っ腹お母さん、育子ちゃんと栄子ちゃんは俺の5歳と3歳上のお姉ちゃん、ここにしばらくの間家族として参加させてもらったのも、母親がお願いしてくれたおかげだ。
昼休みは学校から家に帰り、おばあちゃんと一緒にお昼ご飯を食べ、その後12時45分から始まるNHK連続ドラマ「鳩子の海」を見てから学校に戻る。
昼の授業は1時からなので、毎日午後1の授業は遅刻していたはずなのだが、先生に怒られた記憶もない。
高校受験終了後の結果発表の日、その日は雨だったが警察官のお父さんが心配して合格発表を見に来てくれたことを俺は知っている。
「高校もここから通ったらいいよ」と言ってくれたお父さんとお母さん。
本当はそうしたかった。
お願いしますという言葉が喉まで出掛かったのを押さえ込み、学校の寮に移り住んだ。
高校時代は俺の生涯でさほど重要ではなかったのか、それほど感慨深い思い出はない。
入寮1日目、3階の3年の部屋に新入生が1人ずつ呼び出されるという深夜の歓迎会、中学から続けていた野球部に入るも1学期を待たずに辞めてからは酒と煙草を覚えた若草寮での生活、寮長となった自分が3年の時、先輩からの伝統を受け継ぎ実施した1年に対する深夜の歓迎会等々、凡そ自慢できるような生活はしていなかった。
高校を卒業しても目標もなく、田舎ではあるが進学校に行っていたこともあり、いくつかの大学を受験したが、こんな生活をしていれば受かるはずもなく、浪人生活に突入。
14歳から実家を飛び出た身からすれば、浪人生活を実家の世話になるという選択枝は毛頭無く、大阪の数あるホテル街で有名な生玉地区でアパート付きの新聞配達のアルバイト生活を始める。
1浪後、関西大学に入学するも、大学には籍を置いたまま、専らアルバイトに明け暮れる。
四畳半の部屋が2つきりの酒屋の倉庫で一緒に暮らした龍二は今はもういない。
以上が俺の「青春の門」的自叙伝だ。
この後、俺の人生は第2部そして第3部と移るのだが、それはまた、書く時期を迎えた時においておく。

2022年5月16日月曜日

Quotations

「あんまりやさしい人間じゃないけど、そこまでひどい人間でもないので・・・」
20歳そこそこの小娘から飛び出した言葉。
名言だ。

https://www.youtube.com/watch?v=wQtzRTt0X6Q

2022年5月12日木曜日

Nihongo-Pro Again

2014年から2年余りの間、オンラインで日本語を教えていた時期があった。
ベトナムに行ってから、Wifiの環境が良くなかったのと、ベトナムでの仕事が忙しくなった関係で、休職をしていたのだが、この度復帰することになった。
約6年間のブランクがあったが、レッスン時に使用するシステムや教案作成方法等はすぐに思い出すことができた。
また長期のブランクにも関わらず、復帰のお誘いをいただいた管理者の方にはお礼を言いたい。
4月から体験レッスンを経て、現在は京都に住むマイアミ出身の子に日本語を教えている。
週2回、50分という短い授業だが、彼女は3月から日本に住んでいるので、毎日の生活ですぐに使える日本語を教えていこうと思う。
現在のベトナムでの俺の仕事は日本語教師ではなく、日本との窓口と言った役割であり、学生と触れ合える機会も少ないのだが、これをきっかけにベトナムで自分の理想とする日本語学校を作っても面白いかな・・・と思うきっかけとなった今回のオンラインレッスン復帰であった。

https://www.nihongo-pro.com/jp/

2022年5月11日水曜日

Who's wire

無秩序の極みのようなベトナムの電柱にまとわりつく電線。

2022年5月10日火曜日

Tropical fruit

久々の日本からのお客さんのへのお茶うけはグアバ、ランブータン、マンゴスチンといったトロピカルフルーツの3種盛で。
 


2022年5月9日月曜日

Party with TTS78

Bac Giang CityのBBQ店でTTS78とのパーティーを実施。
センターに日本人が俺一人でメインの仕事が教育ではないことから、あまり学生と話す機会もないので、こういった場は貴重だ。
授業内だけで日本語を勉強しレアリアとして日本語を使う機会の少なさが、日本語、特に会話が弱い要因だろう。
日本人教師をメインとし、センター内を擬似的に日本化してしまえば、学生たちの会話力も伸びるだろう。
そういった日本語学校をここベトナムで作ってみたいものだ。









2022年5月8日日曜日

HaNoi foods

ハノイの食事。
Xoi YenのXoi(おこわ)、Bia Hoiの揚げ豆腐、Phuong BeoのMy van Thang(ワンタン麺)。
この他にもPhoやBunといった麺類は外れ無し。
1日目の夜はベトナム人が経営する日本風焼き鳥屋に行ったがここはいまいちで、ハノイで日本食を食べるならLinh Lang通りにあるTakumi(匠)がお勧め。
旅行でベトナムに来る方は(衛生面では難があるものの)現地の人で賑わう店でローカルフードを味わうのがいいだろう。








2022年5月7日土曜日

Vietnam Military History Museum

タンロン遺跡の横にあるベトナム軍事歴史博物館。
ここにはサイゴン陥落の日に南ベトナム大統領官邸に突っ込んだ戦車が展示されている。
10年近く前に読んだ、サイゴン陥落の日に立ち会った日本人新聞記者が記したノンフィクションである「サイゴンのいちばん長い日」に、2台の戦車が大統領官邸に突入した様子が詳細に描かれている。
今は過去のものとなったベトナム戦争の様子を少し離れた所から見ている今も、ウクライナでは本物の戦争が行われていることに、人間の愚かさを感じた。
奇しくもこの博物館の前はレーニン公園であり、ソ連初代最高指導官であるレーニン像が飾られている。
















2022年5月6日金曜日

Thang Long remains

ベトナムの王朝としては中部Hueにある阮(Nguyen)王朝が有名だが、その前の数世紀に渡り、李(Ly)王朝がハノイのタンロンを首都とし居城していた。
タンロン城址はハノイ市街地にあり、2010年にユネスコの世界遺産に登録された。
敷地は広大で、現在も発掘作業が続いている。
卒業シーズンには学生たちの卒業写真の撮影の場にもなっている。
Hueの王朝と比べて無骨な感じで優雅さは感じられないが、1000年以上前の土器や焼き物が当時のままの形で残されているのは一見の価値有りだ。