2022年2月20日、本日は親父の百箇日法要。
別名卒哭忌(そっこくき)とも呼ばれ、声を上げて泣く「哭」の状態から卒業する法要でもあるらしい。
会者定離、死は万人に平等に訪れるものであり、出会いは必ず別れに通ずるものとはいえ、残された者にとっては寂しいもの。
法要を行うことで気持ちが落ち着くのなら、それだけでも意味があるものなんだろう。
今までは俺が死んだら骨は海に撒いてほしいと思っていたが、もう言うまい。
俺の死後は俺の死を悼んでくれる人が納得出来るようにしてもらえればいい。
親父の死が俺に教えてくれたことは、「死者たる者、生者の為に在れ」ということかもしれない。
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