2025年12月28日日曜日

Istiqlal Mosque

イスティクラル大モスク。
世界最大のイスラム教徒(ムスリム)人口を抱えるインドネシアの首都ジャカルタにある大モスク。
この覚えにくく呼びにくい「イスティクラル」とは、アラビア語で「独立」を意味する。
因みにアラビア語で書くと「استقلال」
日本語の漢字も難しいが、タイ語やアラビア語の文字も難しい。
モナスの出口にかなり前に日本で暮らしていたという前歯の無いおじさんがおり、モスクまでの近道を教えてもらったのだが、そのおじさんとモスクの入り口で再度遭遇。
最初は怪しい人かと思ったが、ただの世話好きのおじさんだった。
このおじさん以外にも、短期間のインドネシア滞在中にいくつもの好意を受けた。
俺の中でインドネシアは微笑みの国タイを超えた存在になった。
で、この大モスクは観光客が中に入れる時間は決まっているらしく、受付でパスポート番号を登録して、ガイドと一緒に入るとのこと。
俺が行った時間はツアーが出発した直後でもあり、残念ながらモスクの中まで入れなかったが、外観を見るだけでも中の巨大さが想像出来る。
このモスクもインドネシアの独立を祈念して、スカルノ大統領の命により建てられたもので、ミナレットと呼ばれる尖塔は、信仰の対象はアッラー1人という神の唯一性を示している。
収容人数は東南アジア最大の20万人、因みに世界一大きなモスクは、イスラム教の聖地メッカにあるマスジド・ハラーム(Masjid al-Haram/聖モスク)で300万人を収容可能だとか。
このモスクはイスラム教徒が一生に一度は訪れる義務(ハッジ)のある場所であり、世界中のムスリムが礼拝方向(キブラ)として向く場所でもある。
インドネシアのホテルの天井などには「KIBLAT」と書かれた矢印がメッカの方向を示している。
対してジャワ島の隣のバリ島では多神教であるヒンズー教が幅を利かせており、イスティクラル大モスクの正面にはジャカルタ大聖堂がある。
この場所にある駐車場はどちらの信者にも開放しており、多宗教国インドネシアはそれぞれの宗教に対しても寛大だ。 







2025年12月27日土曜日

Monumen Nasional

Monumen Nasional、通称モナス
ジャカルタのムルデカ広場の中央にそびえるインドネシアの独立記念塔。
高さは137mで、塔の上には純金メッキを施された火を模したモニュメントが置かれている。
この火はインドネシア語で「Api Nan Tak Kunjung Padam」(英語ではThe Fire That Never Goes Out:決して消えない炎)と呼ばれている。
初代大統領であるスカルノ大統領の指示により建設された。
スカルノ大統領はインドネシアの独立に貢献した、ベトナムでいうホーチミンさんのような存在で100,000ルピア札にハッタ副大統領とともに載っている人物。
第3夫人がデヴィ夫人ということは、日本でも有名だ。
閑話休題
イスラム教徒は4人まで妻を持つことが可能らしく、今回俺が訪問したインドネシアの社長は2人の妻がいるとのこと。
2人目の妻を迎える条件は、正妻の許可を得ることであり、現在ではかなり少ないらしい。
で、話題をモナスに戻すが、ここに行くまで実はあまり興味がなかった。
だだっ広い広場の中心に巨大な鉛筆が立ってるくらいにしか思っていなかったのだが、行ってみると(実際も上の記述通りなのだが)なかなか印象深い所だった。
なによりモナスから他のイスティクラル大モスクやジャカルタ大聖堂にも徒歩圏内なので、もし行かれる方はこの3つをセットとして見ていただければと思う。
 









2025年12月26日金曜日

Kota tua

Kota Old town
ジャカルタ北部、コタ地区にある旧市街。
BlokMという日本人街からTransJakartaというバスで約1時間で行ける。
ファタヒラ広場がその中心で、広場の周りに美術館やジャカルタのオランダ植民地時代の名称であるバタヴィア(Batavia)を名乗る有名なカフェがある。
中でも目を引くのがジャカルタ歴史博物館で、威風堂々とした佇まい。
既視感があるのは、ここがハンガリーのGyorに似ているためだ。
ファタヒラ広場はGyorのセーチェニー広場、Cafe BataviaはGyorのPallfy Restaurant、ジャカルタ歴史博物館はGyorのベネディクト教会といったところだ。
ジャカルタ旧市街を楽しむというより、Gyorの街並みが懐かしくなるノスタルジックな思いに浸った場所だった。