この10年、かなりの社員が入れ替わり、創立当初からの社員は俺とNhungの二人だけになった。
これはベトナムの社会では当たり前であり、終身雇用といった発想はベトナムにはない。
みんな簡単に辞め、簡単に出戻ってくる。
なにはともあれ、事業が10年間継続したのは素晴らしい事だ。
ICO Manpower10周年、おめでとう!
NTTグループを早期退職、セカンドライフとして2年間のハンガリー生活を経て、現在はベトナムに活動の場を移しています。 異国での出来事について、徒然なるままに綴っていきたいと思います。
ベトナム戦争は、世界中のメディアによって報道が自由になされ、多くの戦場カメラマンがベトナムを訪れ、戦争の断面をイメージとして切り取った。
ホーチミンの戦争証跡博物館には、これらのカメラマンが命がけで残した記録が展示されている。
戦場を避けてメコン川を渡る家族の写真は、日本の戦場カメラマン、沢田教一により撮影された。
彼はこの写真でピューリッツァ賞を受賞したが、その5年後にプノンペンの国境沿いで狙撃され、わずか34歳の若さで亡くなった。
不謹慎な話をするが、戦時中に生まれたほうが良かったと思った時がある。
理不尽な命令を洗脳されることにより我が使命と思える時代。
それを信じてひたすら邁進した時代。
これを話すと「病んでたんだね」と一言・・・そう、病んでたんだな。
(34) アジアンドキュメンタリーズ 配信「SAWADA 青森からベトナムへ ピュリッツァー賞カメラマン 沢田教一の生と死」予告編 - YouTube
ベトナム戦争(Vietnam War)
20世紀の最も有名な戦争の一つ、冷戦時代の米ソ対立が背景にある複雑な戦争。
🌏 ベトナム戦争の概要
🗓 期間
正式には 1955年〜1975年。特に激しかったのは 1960年代後半〜1973年。
📍 戦場
主に南ベトナム、一部北ベトナム、ラオスやカンボジアにも拡大。
🔥 なぜ起こったの?(原因)
1. 南北分断(1954年)
フランスがインドシナ(現在のベトナム、ラオス、カンボジア)を植民地支配していたが、**第一次インドシナ戦争(1946–1954)**でフランスが敗北。
1954年のジュネーブ協定でベトナムは北緯17度線で分断:
北ベトナム(共産主義):ホー・チ・ミン率いる共産党
南ベトナム(反共・親米):ゴ・ディン・ジエム政権
2. 冷戦構造
アメリカ:共産主義の拡大を阻止するため、南ベトナムを支援(「ドミノ理論」に基づく)。
ソ連・中国:北ベトナムを支援。
⚔️ 戦争の経過
1960年代:
北ベトナムが南ベトナムの解放を目指してゲリラ戦を展開(南ベトナム解放民族戦線=ベトコン)。
アメリカは1965年から本格的に地上軍を派遣し、爆撃作戦(ローリング・サンダー作戦)などを開始。
1970年代:
戦争が泥沼化、アメリカ国内では反戦運動が拡大。
ニクソン政権は「ベトナム化政策」により、南ベトナム軍に戦争を任せてアメリカ軍を撤退。
📜 終結とその後
1973年:
アメリカと北ベトナムがパリ和平協定を結び、アメリカ軍が撤退。
1975年:北ベトナム軍が南ベトナムの首都サイゴンを陥落させ、ベトナム戦争は終結。
その後、ベトナムは社会主義国家として統一(ベトナム社会主義共和国)。
🎯 戦争の影響
アメリカ兵約58,000人、ベトナム人は数百万が死亡。
化学兵器(枯葉剤など)の使用による環境・健康被害。
アメリカ国内では「負けた戦争」としてトラウマに。
映画や音楽、文学などで多数の作品が生まれる(例:『プラトーン』『地獄の黙示録』『ボーン・イン・ザ・U.S.A.』など)。