2025年4月20日日曜日

Memorandum: The First Indochina War

第二次世界大戦終結後の1946年からは、ベトナムの独立に向けた、戦争が勃発した。
これを第一次インドシナ戦争と呼ぶ。

第1次インドシナ戦争(第一次インドシナ戦争)
ベトナム戦争の「前段階」とも言える戦争、フランスとベトナム独立運動勢力との戦い

🌏 第一次インドシナ戦争(1946年〜1954年)
🗓 期間
1946年12月〜1954年7月

📍 戦場
主にベトナム(インドシナ半島全体:ラオス・カンボジアを含む地域)

🎯 戦争の目的(何のための戦争?)
フランス:インドシナ(ベトナム・ラオス・カンボジア)を植民地として支配し続けたい。
ベトナム(ホー・チ・ミン率いる「ベトミン」):独立国家としてフランスから自由になりたい。

🔥 背景と原因
1. ベトナムの独立宣言(1945年)
第二次世界大戦末期、日本がベトナムを占領 → 敗戦後に撤退。
その隙をついて、ホー・チ・ミンが1945年に「ベトナム民主共和国の独立」を宣言。
フランスは独立を認めず、植民地支配を再開しようとした → 衝突。

⚔️ 戦争の流れ
🔹 初期(1946〜1949年)
フランス軍とベトミン(ベトナム独立同盟)が局地的に戦闘。
フランスが大都市(ハノイ、サイゴンなど)を確保するも、地方ではベトミンがゲリラ戦。
🔹 中期(1950〜1953年)
冷戦構造が影響:
アメリカ → フランスを支援(反共の立場から)
中国・ソ連 → ベトミンを支援(社会主義の立場から)
フランス軍は次第に苦戦。ゲリラ戦に加え、ベトミンの装備が強化。
🔹 最終局面(1954年)
ディエンビエンフーの戦い(1954年3月〜5月)
→ 決定的な戦いで、ベトミンがフランス軍を包囲・降伏させる。

📜 終戦とその結果
🔹 1954年 ジュネーブ協定
停戦と和平が合意。
ベトナムは北緯17度線で北(ベトミン)と南(親仏政権)に分断。
一時的な分割とされたが、後に南北ベトナムの対立が本格化 → ベトナム戦争へとつながる

💥 影響・意義
フランスの植民地主義が崩壊 → アジア・アフリカの脱植民地化が加速。
ベトナムが「冷戦の前線」になり、アメリカとソ連の代理戦争の舞台に。
ディエンビエンフーの敗北は、西側諸国に大きな衝撃。

🧠 用語まとめ
用語:意味・説明
ベトミン(Viet Minh):ベトナム独立同盟。ホー・チ・ミンが指導。主に共産主義者中心。
ホー・チ・ミン:北ベトナム建国の父。ベトミンの指導者。
ディエンビエンフー:北西ベトナムの町。戦争の決定的な戦場。
ジュネーブ協定:1954年の和平協定。ベトナム分断を決定。 



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