孔子の論語の一文。
子曰、吾十有五而志于学、三十而立、四十而不惑、五十而知天命、六十而耳順、七十而従心所欲不踰 矩
(子曰く、吾十有五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑はず。五十にして天命を知る。六十にして耳順ふ。七十にして心の欲する所に従ひて矩(のり)を踰えず(こえず) 。
俺が(本当の意味で)学問に目覚めたのはいつだろう?
学生時代は全く目覚めてなかった。
大学で勉強した記憶も無く、ほぼバイトの生活だった。
僅かな勉強の記憶としては、フランス語を少し頑張ったくらいだが、これもきっかけは
「Comment allez-vous ?」→「困ったデブ」「Qu’est-ce que c’est?」→「けつ、臭ぇ~」と聞こえたのが面白かっただけで、勉強したというわけではない・・。
本気で勉強したのは、NTT入社後、通信網がアナログ交換方式からデジタル通信に変わり、技術習得のためにひたすらプログラムを読み解いた頃からだろう。
「我二十六にて学に志す」といったところか。
その後は通信システムの開発や維持管理業務畑で20年を過ごしたが、管理職となり事業企画部に転部、新入社員採用と育成を実施していた頃が独り立ち出来た時に当てはまる。
「我四十五にして立つ」だ。
次の転機はNTTを早期退職してハンガリーで日本語教師となった頃だ。
孔子とは順番が違うが「五十二にして天命を知る」。
孔子と比べて俺が足りないのは「四十にして惑はず」の部分。
実はここのところ、とある事がきっかけで、今後の我が身の振り方を考えていた。
このままベトナムで過ごしていくか、新天地を求めるか・・・
ようやく結論を出せそうになってきた。
孔子に遅れること20数年、ようやく「惑はず」の境地に立つ心構えが出来た。
今後は「耳従う(人の意見を素直に聞く)」ことを目標にする。
以上、徒然なるままに・・・
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