ビデオ撮りとナレーションを全て入れ終わり、今日からは編集作業。
本社前で朝7時に待ち合わせ、まずは朝食のPho Vit(あひる肉とフォー)を食べに行く。
本社からバイクで約1分のところに出来た新しい店で、癖になりそうな味!
食後は本社に移動しまずはナレーションの切り取り作業から。
NG部分を省いて、OK部分を動画に載せていく。
これが終わった後、ナレーションと動画を合わせる作業があるが、それはThanhにお任せして、Lyと俺は最終編集まで待機状態。
ビデオ作製も終盤を迎えつつある。
NTTグループを早期退職、セカンドライフとして2年間のハンガリー生活を経て、現在はベトナムに活動の場を移しています。 異国での出来事について、徒然なるままに綴っていきたいと思います。
2020年9月29日火曜日
Making Video 6
2020年9月28日月曜日
IndoChina Plaza in HN
日曜日、久々にハノイまで出て、これもまた久しぶりに映画館で映画を見た。
他の送り出しの実習生Trangと前から約束をしていたこともあり、生憎の雨模様ではあったがこの日を逃すとまた予定を合わすのが大変なことから強行した。
行きはリムジンバスでMy Dinhまでの2時間を快適に過ごした。但し料金はバスの倍の650円。
とは言えシートはタクシーよりも快適で、タクシーだと料金が5000円はするのでリムジンバスの方が断然コストパフォーマンスはいい。
肝心の映画はと言うと、下調べ無しにいきなり行ったものだからあまり良くは無かったが、Trangは映画館で映画を観ること自体が初めてだったので楽しんでいたようだ。
遅めの昼食と路上のジャンクフードを食べて帰路に着く。
帰りは普通のバス、運賃325円で約3時間の行程をひたすら耐えた。
このせいかどうかはわからないが、一昨日から痛かった左腰の痛みがピークになった。
今はロキソニンが効いたようでましにはなったので、このまま落ち着いてくれることを祈り、今日は早く寝ることとする。
2020年9月26日土曜日
ICO Manpower Seminar
これから毎週土曜日は実習生全員を集めてのセミナーを実施する。
目的は、日本のルールやマナー、入国時の心構え等々のレクチャ+日本人との会話に慣れること。
初回は雰囲気を和らげるためいきなりルールやマナーの話は置いておいて、日本紹介を実施した。
日本の歌やアニメ、折り紙等で日本や日本文化の紹介を実施。
次回からは次第にシビアな話、例えば技能実習制度そのものの話や、日本での仕事の厳しさ、文化の違いによるやってはいけないこと、妊娠対策等々を実施していく。
コロナによる来客や面接が減少したことは経営的に打撃だが、空いた時間を実習生との授業やセミナーに当てられるのは個人的には嬉しいこと。
ICO Eduにいた頃の、Bac GiangやDak Lakで学生と遊んでいた頃に戻れたようだ。
2020年9月25日金曜日
flow of time
悲しい出来事があった分、嬉しい出来事の喜びが増すなんて嘘だ。
悲しい出来事は単に悲しいだけにしかすぎず、唯一なぐさめてくれるのは時の流れだけ。
時が経ち、悲しさが色褪せることをただ待つしか術はない。
人の心はかくも儚く、かくも脆い。
2020年9月24日木曜日
Ryuji
田辺高校若草寮に入った時、初めて奴に会った。
龍神村から来たという奴と話をした後、別の部屋に行くと、そこにも奴がいた。
何と言うことはない、一卵性双生児の弟が別の部屋にいただけだった。
この双子を含む龍神村出身の奴らとは妙に気が合った。
田舎者特有の人懐っこさのせいだろう。
田舎ではバスの排気ガスの匂いを嗅ぎたいがためにバスの後ろを走ったという馬鹿野郎で、そのせいで足が速くなったとか・・。
双子共々、足だけは確かに速かった。
若草寮を出たのはそれから2年後、まずは龍神村の連中が新万団地に移り住み、その後しばらくして奴の紹介で俺も近くの家に移り住んだ。
住み家が近いのでよく遊びに行った。
大学受験前、ラジオ講座を聞いていたのを覚えてる。
その頃から俺は煙草を吸い酒を飲むようになっていたが、奴には隠していた。
俺の留守中、俺の部屋に来た奴は、煙草の気配を感じたのだろう、置手紙を残していった。
書いてあった文面は今となっては定かではないが、「てめえは一人じゃない」といったニュアンスの文だった。
奴なりに荒れた俺を心配してくれたのだろう。
その年、ラジオ講座は継続していたものの、俺も奴も大学受験に失敗した。
奴と再び会ったのは1年後。
関西大学社会学部の校舎内だった。
奴も俺も1浪後、奇しくも同じ大学の同じ学部に入学した。
俺は大学の近くの小奇麗な寮に住んでいたのだが、奴と出会ってから、奴の住むクリーニング屋の倉庫内に作られた4畳の部屋に移り住んだ。
関大前から吹田までの2駅分、引っ越し荷物とベッドを歩いて運んだ。
ベッドはどうやって運んだんだったっけ?
とにかく歩いて運んだ。
倉庫内に部屋は2つきり、奴の部屋には窓がない代わりに天窓がついていた。
金がないので食事は1日1食、2人で6合の飯をシーチキンの缶詰1つで食っては腹を満たしていた。
奴はその頃からギターにのめり込み、俺の書いた詩に曲をつけたりしていた。
二人とも長髪で、薄汚い学生だった。
当時の奴の彼女は不細工だったが、奴は気にも留めなかった。
美人は3日見たら飽きる、ブスは3日見たら慣れる・・・よく言っていたもんだ。
俺は途中で大学を辞め、家庭を持つようになってからは奴との距離が遠くなった。
俺も奴もそれぞれの道を歩き始めた。
さっき「奴が逝った」と双子の弟から連絡があった。
病魔と戦っていたが、昨日、眠るように逝ったという。
龍二・・・お前の人生はどうだった?
好きなことをしたか?後悔はないか?
人間、いつかは死ぬ。
お前の場合、少し急いだようだが、俺もいつか必ずお前の元に行く。
あの日偶然大学で会った様に、またどこかで会えるだろう。
それまで唄いながら待ってろ!
だめだ、涙が止まらん