2020年9月24日木曜日

Ryuji

 田辺高校若草寮に入った時、初めて奴に会った。
龍神村から来たという奴と話をした後、別の部屋に行くと、そこにも奴がいた。
何と言うことはない、一卵性双生児の弟が別の部屋にいただけだった。
この双子を含む龍神村出身の奴らとは妙に気が合った。
田舎者特有の人懐っこさのせいだろう。
田舎ではバスの排気ガスの匂いを嗅ぎたいがためにバスの後ろを走ったという馬鹿野郎で、そのせいで足が速くなったとか・・。
双子共々、足だけは確かに速かった。

若草寮を出たのはそれから2年後、まずは龍神村の連中が新万団地に移り住み、その後しばらくして奴の紹介で俺も近くの家に移り住んだ。
住み家が近いのでよく遊びに行った。
大学受験前、ラジオ講座を聞いていたのを覚えてる。
その頃から俺は煙草を吸い酒を飲むようになっていたが、奴には隠していた。
俺の留守中、俺の部屋に来た奴は、煙草の気配を感じたのだろう、置手紙を残していった。
書いてあった文面は今となっては定かではないが、「てめえは一人じゃない」といったニュアンスの文だった。
奴なりに荒れた俺を心配してくれたのだろう。
その年、ラジオ講座は継続していたものの、俺も奴も大学受験に失敗した。

奴と再び会ったのは1年後。
関西大学社会学部の校舎内だった。
奴も俺も1浪後、奇しくも同じ大学の同じ学部に入学した。
俺は大学の近くの小奇麗な寮に住んでいたのだが、奴と出会ってから、奴の住むクリーニング屋の倉庫内に作られた4畳の部屋に移り住んだ。
関大前から吹田までの2駅分、引っ越し荷物とベッドを歩いて運んだ。
ベッドはどうやって運んだんだったっけ?
とにかく歩いて運んだ。
倉庫内に部屋は2つきり、奴の部屋には窓がない代わりに天窓がついていた。
金がないので食事は1日1食、2人で6合の飯をシーチキンの缶詰1つで食っては腹を満たしていた。
奴はその頃からギターにのめり込み、俺の書いた詩に曲をつけたりしていた。
二人とも長髪で、薄汚い学生だった。
当時の奴の彼女は不細工だったが、奴は気にも留めなかった。
美人は3日見たら飽きる、ブスは3日見たら慣れる・・・よく言っていたもんだ。

俺は途中で大学を辞め、家庭を持つようになってからは奴との距離が遠くなった。
俺も奴もそれぞれの道を歩き始めた。

さっき「奴が逝った」と双子の弟から連絡があった。
病魔と戦っていたが、昨日、眠るように逝ったという。

龍二・・・お前の人生はどうだった?
好きなことをしたか?後悔はないか?
人間、いつかは死ぬ。
お前の場合、少し急いだようだが、俺もいつか必ずお前の元に行く。
あの日偶然大学で会った様に、またどこかで会えるだろう。
それまで唄いながら待ってろ!

だめだ、涙が止まらん

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