2025年5月6日火曜日

KFC

KFCの部位の名前って秘密戦隊ゴレンジャーの隊員みたいな名前だな!



 

2025年5月5日月曜日

Take a rest

ベトナムでは4月30日から5月4日まで、5日間の連休だった。
今回は特に予定も入れないまま、その日その日で何をするか決めようと思っていたが、実はこれがよかった。
実は俺は足に爆弾を抱えている。
右足の親指の付け根には痛風を繰り返したことによる結石が、左足の踵には粉瘤と思われる瘤が出来ている。
いづれも痛みがないので放置しておいたが、連休2日目に異変が生じた。
連休初日の30日はBac NinhからTu Songをバイクで回ったのだが、左足の踵に痛みを感じるようになり、夕方にはバイクのクラッチを切るのも一苦労するほど痛みはひどくなってきた。
帰って確認してみると、踵の瘤の周りが膿んでいるようで、それが足の裏まで回っており、時間の経過とともに痛みを増す状況になった。
翌日からは、痛みをこらえつつ溜まった膿を押し出すことと、ひたすら安静を保つことで3日間を過ごした。
本来であれば病院に行くか抗生物質等の薬を飲むべきなのだろうが、あいにくの連休で病院が開いているかもわからなかったのと、歩くのも億劫だったので、痛みの元の膿を出すことに専念した。
結果、4日目には膿も出し切り、痛みも治まった。
その夜、Minhから誘いがあり、体の消毒も兼ねての飲み会となった次第だ。
で、本日は連休も終わり、無事出社出来ている。
今年の連休は休養しろという神様のお達しだったのだろう。

2025年5月4日日曜日

Retreat Bar

Minhとの飲み会、明日も休みということで、久々の二次会は隠れ家的なBarで。
この店のお薦めのカクテルの名前はPho(フォー)
通常カクテルと言えばカクテルグラスに入れて出されるものだが、このカクテルは名前の由来通り、Phoの丼の小型版に入れられ、唐辛子とライムとともに出される。
作り方も独特で、適当に遊んでいるように見えるが、これが結構旨くて笑った。




2025年5月3日土曜日

Komatsuna

市場で小松菜を見つけたので、久々に料理をした。
ベトナムにも小松菜があるんだな。。



2025年5月2日金曜日

Trang An

既に何度も訪れている「川のハロン湾」とも呼ばれるTrang An。
お客様の視察という名目で、国際部のメンバーと日帰りプチ旅行。














2025年5月1日木曜日

Great value

少し暑くなってきたので、Thuongと久々のビアホイへ。
ビール10杯といろいろ頼んで、2人で2000円ほど・・
飲み会はこれで十分だ!



2025年4月30日水曜日

Goodbye Shark Jaws

ハノイ、ホアンキエム湖の畔にある「サメの顎」の愛称で親しまれる商業施設が取り壊されることとなった。
ベトナムに来て間もない頃、このビルの最上階にあった外国人が屯するバーAVALONでワインを飲んだ。
お客様が来てハノイを案内する際は、ビアホールLegendでクラフトビールを飲むのが楽しみだった。
俺にとってはハノイの思い出深い場所だったので、撤去が惜しい気持ちだ。



2025年4月29日火曜日

IMP 10th Anniversary

今年でICO Manpowerは創立10周年を迎える。
この10年、かなりの社員が入れ替わり、創立当初からの社員は俺とNhungの二人だけになった。
これはベトナムの社会では当たり前であり、終身雇用といった発想はベトナムにはない。
みんな簡単に辞め、簡単に出戻ってくる。
なにはともあれ、事業が10年間継続したのは素晴らしい事だ。
ICO Manpower10周年、おめでとう!









2025年4月28日月曜日

Vietnam landscape

Pho Yen支店に飾られていたベトナムの風景画。
これ、欲しいな!

2025年4月26日土曜日

Introducing Japan

ICO ManpowerのThai Nguyen支店で、日本語を勉強している学生に対する日本紹介セミナーを実施した。
2ヶ所、各1時間程度だったが、学生の中には8歳の子もおり、楽しい1日だった。









 

2025年4月24日木曜日

Luncheon

会社の食事会。
手前の女性は昼食会、奥の男性は飲み会と化す。

2025年4月23日水曜日

Kyoichi Sawada

ベトナム戦争は、世界中のメディアによって報道が自由になされ、多くの戦場カメラマンがベトナムを訪れ、戦争の断面をイメージとして切り取った。
ホーチミンの戦争証跡博物館には、これらのカメラマンが命がけで残した記録が展示されている。
戦場を避けてメコン川を渡る家族の写真は、日本の戦場カメラマン、沢田教一により撮影された。
彼はこの写真でピューリッツァ賞を受賞したが、その5年後にプノンペンの国境沿いで狙撃され、わずか34歳の若さで亡くなった。

不謹慎な話をするが、戦時中に生まれたほうが良かったと思った時がある。
理不尽な命令を洗脳されることにより我が使命と思える時代。
それを信じてひたすら邁進した時代。
これを話すと「病んでたんだね」と一言・・・そう、病んでたんだな。

 (34) アジアンドキュメンタリーズ 配信「SAWADA 青森からベトナムへ ピュリッツァー賞カメラマン 沢田教一の生と死」予告編 - YouTube


2025年4月22日火曜日

Memorandum: The Vietnam War

ベトナム戦争(Vietnam War)
20世紀の最も有名な戦争の一つ、冷戦時代の米ソ対立が背景にある複雑な戦争。
🌏 ベトナム戦争の概要
🗓 期間
正式には 1955年〜1975年。特に激しかったのは 1960年代後半〜1973年。
📍 戦場
主に南ベトナム、一部北ベトナム、ラオスやカンボジアにも拡大。
🔥 なぜ起こったの?(原因)
1. 南北分断(1954年)
フランスがインドシナ(現在のベトナム、ラオス、カンボジア)を植民地支配していたが、**第一次インドシナ戦争(1946–1954)**でフランスが敗北。
1954年のジュネーブ協定でベトナムは北緯17度線で分断:
北ベトナム(共産主義):ホー・チ・ミン率いる共産党
南ベトナム(反共・親米):ゴ・ディン・ジエム政権
2. 冷戦構造
アメリカ:共産主義の拡大を阻止するため、南ベトナムを支援(「ドミノ理論」に基づく)。
ソ連・中国:北ベトナムを支援。
⚔️ 戦争の経過
1960年代:
北ベトナムが南ベトナムの解放を目指してゲリラ戦を展開(南ベトナム解放民族戦線=ベトコン)。
アメリカは1965年から本格的に地上軍を派遣し、爆撃作戦(ローリング・サンダー作戦)などを開始。
1970年代:
戦争が泥沼化、アメリカ国内では反戦運動が拡大。
ニクソン政権は「ベトナム化政策」により、南ベトナム軍に戦争を任せてアメリカ軍を撤退。
📜 終結とその後
1973年:
アメリカと北ベトナムがパリ和平協定を結び、アメリカ軍が撤退。
1975年:北ベトナム軍が南ベトナムの首都サイゴンを陥落させ、ベトナム戦争は終結。
その後、ベトナムは社会主義国家として統一(ベトナム社会主義共和国)。
🎯 戦争の影響
アメリカ兵約58,000人、ベトナム人は数百万が死亡。
化学兵器(枯葉剤など)の使用による環境・健康被害。
アメリカ国内では「負けた戦争」としてトラウマに。
映画や音楽、文学などで多数の作品が生まれる(例:『プラトーン』『地獄の黙示録』『ボーン・イン・ザ・U.S.A.』など)。



2025年4月21日月曜日

Memorandum: The second Indochina War

🧭 第2次インドシナ戦争とは?

✅ 結論から言うと:
第2次インドシナ戦争 = ベトナム戦争(1955年〜1975年)
🔍 なぜ「第2次インドシナ戦争」と呼ぶ?

インドシナとは?
「インドシナ」は、ベトナム・ラオス・カンボジアの地域全体を指す地名。
これらの国々はもともとフランスの植民地「フランス領インドシナ」だった。

インドシナ戦争シリーズ
呼び方:期間:内容
第1次インドシナ戦争:1946〜1954:フランス vs ベトミン(ベトナム独立運動)
第2次インドシナ戦争:1955〜1975:アメリカ & 南ベトナム vs 北ベトナム & ベトコン(共産勢力) ← ベトナム戦争のこと!
第3次インドシナ戦争:1978〜1989:ベトナム vs カンボジアのクメール・ルージュ & 中越戦争(中国との戦争)など

🌍 「第2次インドシナ戦争」としての視点
📌 なぜ「インドシナ戦争」シリーズとして見る?
この見方をすると、ただのベトナム国内の内戦ではなく、
冷戦の代理戦争
ラオス・カンボジアにも広がった地域戦争
大国(アメリカ・ソ連・中国)が深く関与
という広域かつ国際的な紛争であることがわかる。

🧠 ポイントまとめ
用語:説明
第2次インドシナ戦争 通称「ベトナム戦争」。1955〜1975年。アメリカ vs 北ベトナム。
インドシナ ベトナム・ラオス・カンボジア地域のこと。
重要性 植民地支配の終焉、冷戦の象徴、アジアの大規模戦争。



2025年4月20日日曜日

Memorandum: The First Indochina War

第二次世界大戦終結後の1946年からは、ベトナムの独立に向けた、戦争が勃発した。
これを第一次インドシナ戦争と呼ぶ。

第1次インドシナ戦争(第一次インドシナ戦争)
ベトナム戦争の「前段階」とも言える戦争、フランスとベトナム独立運動勢力との戦い

🌏 第一次インドシナ戦争(1946年〜1954年)
🗓 期間
1946年12月〜1954年7月

📍 戦場
主にベトナム(インドシナ半島全体:ラオス・カンボジアを含む地域)

🎯 戦争の目的(何のための戦争?)
フランス:インドシナ(ベトナム・ラオス・カンボジア)を植民地として支配し続けたい。
ベトナム(ホー・チ・ミン率いる「ベトミン」):独立国家としてフランスから自由になりたい。

🔥 背景と原因
1. ベトナムの独立宣言(1945年)
第二次世界大戦末期、日本がベトナムを占領 → 敗戦後に撤退。
その隙をついて、ホー・チ・ミンが1945年に「ベトナム民主共和国の独立」を宣言。
フランスは独立を認めず、植民地支配を再開しようとした → 衝突。

⚔️ 戦争の流れ
🔹 初期(1946〜1949年)
フランス軍とベトミン(ベトナム独立同盟)が局地的に戦闘。
フランスが大都市(ハノイ、サイゴンなど)を確保するも、地方ではベトミンがゲリラ戦。
🔹 中期(1950〜1953年)
冷戦構造が影響:
アメリカ → フランスを支援(反共の立場から)
中国・ソ連 → ベトミンを支援(社会主義の立場から)
フランス軍は次第に苦戦。ゲリラ戦に加え、ベトミンの装備が強化。
🔹 最終局面(1954年)
ディエンビエンフーの戦い(1954年3月〜5月)
→ 決定的な戦いで、ベトミンがフランス軍を包囲・降伏させる。

📜 終戦とその結果
🔹 1954年 ジュネーブ協定
停戦と和平が合意。
ベトナムは北緯17度線で北(ベトミン)と南(親仏政権)に分断。
一時的な分割とされたが、後に南北ベトナムの対立が本格化 → ベトナム戦争へとつながる

💥 影響・意義
フランスの植民地主義が崩壊 → アジア・アフリカの脱植民地化が加速。
ベトナムが「冷戦の前線」になり、アメリカとソ連の代理戦争の舞台に。
ディエンビエンフーの敗北は、西側諸国に大きな衝撃。

🧠 用語まとめ
用語:意味・説明
ベトミン(Viet Minh):ベトナム独立同盟。ホー・チ・ミンが指導。主に共産主義者中心。
ホー・チ・ミン:北ベトナム建国の父。ベトミンの指導者。
ディエンビエンフー:北西ベトナムの町。戦争の決定的な戦場。
ジュネーブ協定:1954年の和平協定。ベトナム分断を決定。 



2025年4月19日土曜日

Memorandum: World War II

戦争の話題ついでに、ここからは少し歴史のお勉強。
第二次世界大戦からベトナム戦争終結までの流れを確認していく。
まずは、第二次世界大戦から・・。

「第二次世界大戦(World War II)」
人類史上最大規模の戦争であり、世界中の多くの国を巻き込んだ総力戦

🌍 第二次世界大戦の基本情報
📅 期間
1939年9月1日 ~ 1945年9月2日(約6年間)

🥊 主な対立
枢軸国(ドイツ・日本・イタリア)vs 連合国(イギリス・アメリカ・ソ連・中国など)

📍 戦場
ヨーロッパ・アジア・太平洋・アフリカなど、ほぼ全世界

☠️ 死者数
約7,000万〜8,500万人(民間人含む)

🔥 戦争の原因(なぜ始まった?)
ドイツ(ヒトラー)の野望
→ 第一次世界大戦で負けたドイツは多くの制裁を受けた(ヴェルサイユ条約)。
これに反発してヒトラーが台頭し、領土拡大を目指した。

日本の拡張主義
→ 満州事変(1931年)、日中戦争(1937年)など、中国や東南アジアに進出。

イタリアのファシズム(ムッソリーニ)
→ 北アフリカやバルカン半島への拡張を狙う。

⏳ 戦争の主な流れ(ざっくり年表)
1939年 ドイツがポーランドに侵攻 → イギリス・フランスが宣戦布告(開戦)
1940年 ドイツがフランス占領。日本が枢軸国に正式加入。
1941年 ドイツがソ連に侵攻(独ソ戦)。日本が真珠湾攻撃 → アメリカ参戦。
1942年 太平洋戦線激化(ミッドウェー海戦など)
1943年 連合国が反撃開始(イタリア降伏)
1944年 ノルマンディー上陸作戦(D-Day) → 西ヨーロッパ解放へ
1945年 ドイツ降伏(5月)。広島・長崎に原爆 → 日本降伏(9月)

🏁 終戦
ドイツ敗北:1945年5月8日(ベルリン陥落)→ ヒトラーは自殺
日本降伏:1945年8月15日(ポツダム宣言受諾)→ 9月2日、正式に降伏文書に調印

💥 戦争の影響
国際連合(UN)の設立:戦争を繰り返さないための国際機関(1945年)
冷戦の始まり:アメリカとソ連が対立し始める
植民地主義の終焉:アジアやアフリカで独立運動が加速
ホロコーストの発覚:ナチスによるユダヤ人大虐殺
核兵器の登場:広島・長崎での原爆投下

🎖️ 主要人物
アドルフ・ヒトラー ドイツ・ナチス党の独裁者
ウィンストン・チャーチル イギリス首相(連合国の象徴的指導者)
フランクリン・ルーズベルト / トルーマン アメリカ大統領(途中交代)
ヨシフ・スターリン ソ連指導者
昭和天皇・東条英機 日本の国家元首・首相(当時)



2025年4月16日水曜日

Military training

ICO Schoolで行われた軍事訓練。
あれだけ悲惨な戦争を長期に渡り実施したベトナムで、今も尚このような訓練を幼い学生にやらすんだな。
ベトナム戦争の映画を見た翌日の出来事だったので、複雑な思いになった。